第196話 (99/12/31 ON AIR) | ||
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『時計』 | 作:久野 那美 |
除夜の鐘が鳴っている。 大晦日。底冷えのする夜中の商店街。人の気配はなく、 錆びたシャッターを、風がかたかたと撫でていく。 アーケードの向こうから少女がひとり。足下を見ながら歩いて来た。 靴音がこだまする。少女はひとあしごとに数を数え続けている。 |
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少女 | ……1992、1993、1994、1995、 |
1996、1997、1998、1999 (*いくつからはじめてもいいのですが、「1999」で終わって下さい) 靴音が止まる。 商店街のはずれ。1軒だけ、シャッターが半開きになっている店の前。 中から灯りが漏れている…。 店の中からはチクタク、チクタク、秒針の動く音。 そして低い男の声が聞こえてくる… |
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男 | 11時45分。45分1秒。45分2秒。45分3秒 |
… | |
風が吹く。シャッターがかたかたと鳴る。 少女、かがんで店の中をのぞき込む。 年取った男がひとり。椅子に座って時計のネジを巻いている。 ネジを巻き、秒針を合わせている。 |
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時計屋 | (ふと、気配に気づいて)誰かそこにいるのかい? |
少女 | …こんばんは。 |
時計屋 | お客さん? |
少女 | …いえ…。こんな夜中に買い物しません。ここは…、何のお店? |
時計屋 | 見ての通り。 |
少女 | 見ての通り… |
時計屋 | 時計屋だよ。 |
少女 | 時計屋?…こんな時間に? |
時計屋 | おじょうちゃんこそ。こんな時間にひとりで…。 |
鐘が鳴る。 | |
時計屋 | ああ。除夜の鐘なら一筋向こうだ。 |
次の角を東へ曲がってまっすぐ行くと正面に寺がある。 | |
風が吹く。 | |
時計屋 | 今夜は冷えるね。 |
少女 | ちょっとだけ…中に入ってもいい? |
時計屋 | …ああ。ちょっとあったまっておいで。 |
少女、シャッターをくぐって中へ入ってくる。
店の中には大小種類のさまざまな時計がおかれている。 ちくたく、ちくたく、秒針の動く音がする。 |
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少女 | 時計屋さん…。何、してるの?こんなおおみそかの夜に。 |
時計屋 | (笑って)大晦日の夜には大掃除だ。 |
少女 | 大掃除? |
少女、店の中を見回す。 | |
時計屋 | ときどきこうやって大掃除してやらないと。 |
少女 | 時計を…? |
時計屋 | 手入れをしないで放っておくと、やがて使いものにならなくなる。 |
少女 | ? |
時計屋 | 正しい時間を報せることができなくなる。 |
時計屋はネジをまいたり、分解して歯車をけずったり、
埃を吹き払ったりしている。 |
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少女 | どうして? |
時計屋 | どんなにきちんと合わせておいても、 針は毎日すこうしずつずれていく。 |
少女 | …ずれていく? |
時計屋 | ネジは気温や湿度の変化で少しずつ緩んでいくし、 歯車は毎日少しずつすりきれる。 歯車と歯車との間には隙間が空く。埃だってたまる。 |
少女 | …ふうん。 |
時計屋 | それじゃあ、売りものにならない。 |
少女 | …うん。 |
時計屋 | いつも正しい時間を差せる状態にしておかないと。 |
少女、店の中を歩き周り、時計を見ている。 | |
少女 | 大きい時計。針の太い時計。円い時計。四角い時計。 振り子のついてる時計。 バンドのついてる時計。 鎖のついてる時計。鳩の出てくる時計…。 ひとつの時計の前で、ふと立ち止まる…。 |
少女 | …どうしてこの時計だけ時間が違うの? |
時計屋 | (大掃除を続けながら)動かないんだよ。 |
少女 | どうして? |
時計屋 | 止まってしまったから。 |
少女 | いつ? |
時計屋 | ずうっと昔のその時間に。 |
少女 | 12時ちょうどに? |
時計屋 | 12時ちょうどに。 |
少女 | どうして? |
時計屋 | …。(無視してネジを巻いている) |
少女 | 落としたから? |
時計屋 | …。(無視してネジを巻いている) |
少女 | ネジがなくなったから? |
時計屋 | …。(無視してネジを巻いている) |
少女 | 治らないの? |
時計屋 | …。(無視してネジを巻いている) |
少女 | …止まってしまうまでは、動いてたの? |
時計屋 | …その日の、その時間までは。 |
時計屋は、時計を掃除しながら話している。 | |
少女 | 正しい時間を差せない時計が、どうしてお店においてあるの? |
時計屋 | (手を止めて)針は毎日完全に同じ速さで動くことはできない。
手入れをしても、どうしても少しずつ針はずれていく。 時間を追いかけて、 おいついて、たまに追い越される。 完全に正しい時間を差すことはできないんだ。 |
少女 | …。 |
時計屋 | 絶対に正しい時間を差すことができる時計は、 ほんとはそいつだけなんだよ。 |
少女 | ? |
時計屋 | 1日2回。時間の方が時計に追い付く。 |
少女 | そんなの…。 じゃあ、他の時計はなんのために「手入れ」するの? |
時計屋 | 目で見てもわからないような小さなずれなんて、 実は全然どうってことはない。 ちゃんと手入れしてさえいれば、困らない程度に 正確な時計を知ることが出来る。 |
少女 | …。 |
時計屋 | ちゃんと、使いものになる。 |
少女 | …。 |
時計屋 | 動かない時計は使いものにならない。 |
少女 | じゃあ、どうして… |
少女、耳を澄まして時計の針の音を聞く。 かち、かち、かち、秒針のうごく音が大きくなる。 それは実はひとつではなく、無数の秒針の音が少しずつ少しずつ、 微妙にずれながら幾重にも重なっていたのだ… 外では除夜の鐘も鳴り続いている。 |
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時計屋 | おや。もうこんな時間だ。もうじき…今年もおしまいになる。
かち、かち、かち、秒針のうごく音。音。音。 |
少女 | (困っている)今、いちばん正しい時間は、どれなの? |
秒針の音はだんだんに大きくなって…、 やがてそれぞれがばらばらに止まった…。 静寂…。しばらく。 少女、時計を見渡す… |
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少女 | ぜんぶ、12時を越えちゃった。 大きいのも、針の太いのも、円いのも、 四角いのも、 バンドのついてるのも、鳩の出てくるのも…。 …だけど……(止まったままの時計を見ている) しばらく。 |
時計屋 | しまった。ずいぶん長居させたね。新しい年が明けてしまった。 |
少女 | 私… |
時計屋 | うん? |
少女 | 私… |
時計屋 | (少女の様子がおかしので怪訝な顔で見ている) |
店のなかはさっきまでとおなじく、平凡な時計の音に包まれている。 | |
少女 | ごめんなさい。もう行きます。 |
時計屋 | ああ…そう。気を付けてお行きよ。 |
少女 | ありがとう。 |
時計屋 | 外は寒いし、風も吹いてる。 |
少女 | はい。 |
少女、シャッターをくぐって外へでる。 | |
少女 | ありがとう。……さようなら。 |
時計屋 | さよなら。気を付けて。(また、ネジをまきはじめる) |
少女 | 2001、2002、2003、2004… |
ひとあしごとに数えながら。少女の声、靴音、だんだんと小さくなる。
(*いくつで終わってもいいのですが、「2001」からはじめて下さい。) |
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終わり |