第151話(99/02/19 ON AIR)
『天使のうた』 作:松田 正隆

登場人物

―電車の音。
「いた!」
「あ、ごめんなさい。」
「…」
女「すいません、ホント、何度も…。こんなに混んでると、
足の置き場がなくって…。今朝はめずらしいですね、
何かあったんですかね。」
「雪で、一本ずつ遅れてるんじゃないですかね。」
「ああ、そっか…。きのうの夜、すごかったですからね、
雪…あんなの見たの初めてだったんですよ…」
「そうですか」
―間。
「ふんだのは、私じゃないかもしれないんだけど」
「え?あ、そうなんですか?」
「ええ、まあ、とりあえず私だったらいけないからあやま
ってますけどね。これだけの人の足があるんだから誰が
誰の足、ふんづけてるかなんて、わかりませんよ。」
「いや、少なくとも私がふんづけられたことは確かですよ」
「どうして」
「だって、痛いんだから」
「ああ、なるほど」
「どちらまで?」
「次の次で降りるんですけど。これじゃ、無理かな、身動き
ひとつできませんからね」
「ぼくは次で降ります」
「そうですか」
「三度もふんでくれたおかげですね」
「え?何が?」
「こうやって話ができた」
「ああ…」
「帰りは何時の電車に乗るんです?」
「そんなのわかりませんよ」
「だいたいでいいんですよ」
「夕方と、夜の間ぐらい」
「それじゃ、わかりませんよ」
「縁があったら、また会いますよ、きっと」
「縁はあったんです、もう、三度もぼくの足をふんづけたん
だから」
「でも、それだって私かどうかわからないんですよ」
「いいです、わからなくて、そんなこと…とにかく、三度
あなたの前で、ぼくは痛い目にあったんだから。いたいって、
三度言って、ごめんなさいって、三度あなたは言ってくれた
んだから…」
「あ…じゃ、もしかして…踏まれてもいないのに『イタイッ』
って言ったんじゃないんですか?」
「そんなわけないでしょう。」
「だって、私は天使なんですよ」
「え?」
「私は天使なんです」
「天使」
「ええ」
「笑いますよ」
「どうぞ」
「…」
「本当ですよ」
「ハハハハ」
「いや、だって、ホラ、映画観たことないですか?
ベルリン、天使の詩。」
「観ましたよ」
「ま、あんな感じの天使です。」
「どうして、こんな混み入ったとこにいるんですか。もっとこう、
のびのびしたとこにいるんじゃないんですか?天使ってビルの
屋上とか…」
「ええ、まあねえ」
「よりによってこんなラッシュのときの地下鉄にいることも、
ないでしょう。」
「そうかな…」
「天使なら天使らしく」
「ヘンケンだな、天使に対する」
「偏見?」
「天使にだっていろいろあるんです。それぞれの事情という
ものが…」
「そうですか…」
「…と、まあ、そういうわけで、あなたの足をふんだのは私じゃ
ないんです。だって、私は天使なんですから」
「天使には足がないんですか?」
「というか、存在の仕方が違うじゃないですか、あなた方とは…」
「へえ…」
―と、電車が駅に停車する。
 人々は降りてゆく。
「え?…降りないんですか」
「ええ…」
「どうして、ここなんでしょう、会社」
「ええ…」
「じゃ、降りなきゃ」
「…」
―と、ドアが閉まり、発車する。
「あ、ほら、閉まっちゃった…」
「…次でしょう」
「え?」
「降りるの、あなたが…次なんでしょう」
「ええ…」
「それから、会社行くんですか?天使なのに…」
「ええ…」
「じゃあ、ぼくも次で降ります。」
「チコクしますよ」
「大丈夫です。」
「…いたい!」
「あ、ごめんなさい…」
「…」と、こらえきれず笑っている。