第96話 (98/01/30 ON AIR) | ||
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『金曜日の朝』 | 作:四夜原 茂 |
スズメの鳴き声。 朝の街を男が歩いてくる足音。 ビニール袋がガサゴソ音をたてる。 |
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男 |
ふう、重かった。よっこらせっと。 |
ビニール袋を置き、手をパンパンとはらう。 どこからともなく女がやってくる。 |
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女 | あれ? |
男 | あ |
女 | ちょっと、なにやってるの? |
男 | しまった。 |
女 | まさか、あなた…。 |
男 | な、なんでもないんです。 |
女 | なんでもないわけないでしょ。どうするの?その黒くて 大きなビニール袋。 |
男 | どうもしないんです。ひっそりとここに…。 |
女 | 知っててやってるのね。今日は金曜日だってこと知って て置いてくつもりなのね。 |
男 | だって、次は月曜日なんですよ。 |
女 | 困ります。持って帰って下さい。 |
男 | 困るって、あなたが困るんですか? |
女 | 私だけじゃなくて、みんなが困るでしょ?さ、持って帰 って下さい。 |
男 |
いやです。 |
女 | いやって、あなた…。 |
男 | 絶対に持って帰りません。それを持って帰るくらいなら 死んだ方がましです。 |
女 | …何が入ってるの?これ。 |
男 | 実は、急な出張で3ヶ月ほど留守にしてたんですよ。そ の間に、電気を止められちゃったみたいで、その、冷蔵 庫が…。 |
女 | え? |
男 | 冬とはいえ、閉め切った部屋の中で直射日光をあびたグ レーの冷蔵庫は、もはや冷蔵庫とは呼べませんよね。 |
女 | グレーの冷蔵庫に直射日光が当たってたの? |
男 | はい。温度は30°から40°ってとこでしょうか、冷 凍庫に入ってたサバやアジやサンマたちが…。 |
女 | サバやアジやサンマの生魚が30°から40°で何カ月 も? |
男 | はい。想像できますか? |
女 | そ、想像したくないわ。 |
男 | なんかこう、もわーっと |
女 | やめて! |
男 | それだけじゃないんです。納豆が… |
女 | 納豆?どうして捨ててから出張に行かなかったのよ。 |
男 | 急に出張が決まっちゃって、忘れてたんです。納豆から ヒゲみたいなものがウワーっと。 |
女 | やめてったら! |
男 | そのヒゲみたいなものが、昔はヨーグルトだったゲル状 の液体をくぐり、昔はトリのモモ肉だった小高い丘をこ えて、冷蔵庫の扉の外までウワーっと。 |
女 | そ、そんなに? |
男 | すごいんですよ。ちょっと見てみますか? |
袋の口を開けようとする。 | |
女 | いいです。いいですよ、見せなくても。 |
男 | あ、そうですか? |
女 | ああ、トリハダが立ってきちゃった。 |
男 | あれ?そこにある青いビニール袋は何ですか? |
女 | これ?これは、ビニール袋じゃないですか。 |
男 | まさか…。 |
女 | なにが「まさか」よ。私はただビニール袋を持ってここ を通りがかっただけじゃないの。 |
男 | ふうん…。 |
女 | あなたみたいに置いたりしてないでしょ。私はただ持っ てるだけなのよ。 |
男 | じゃ、私いそいでますから。 |
女 | …逃げるのね。 |
男 | いいじゃないですか。あなたもここに置いといたら。 |
女 | 男ってみんなそうなのよ。都合が悪くなると逃げ出せば いいと思ってるんだわ。 |
男 | は? |
女 | 残された女がどんなに苦しむかなんて少しも考えないの よ。身がってな男の身がってな行動の結果がこれよ。 |
男 | な、なんですか、それ。けっこう重そうだけど。 |
女 | 重いわよ、あたしにとっては地球より重かった。さっき までは。 |
男 | ちょっと、ちょっと冗談はよして下さいよ。 |
女 | あら、何をあわててるの? |
男 | やっちゃったんですか。 |
女 | だってどうしようもなかったのよ。あの人来てくれなか ったし。 |
男 | だからってあなた、そんな袋に入れて捨てるなんて…。 |
女 | 誰も捨てるなんて言ってないでしょ。私は持ってるだけ なの。 |
男 | ………じゃ、私、いそいでますから。 |
女 | やっぱり逃げるんだ。 |
男 | そりゃ逃げますよ。 |
女 | 見ますか? |
男 | ……え? |
女 | 見てやって下さい。誰かにひと目見てもらうだけで私、 少し楽になるような気がして来ました。 |
男 | や、やめてくれ。 |
女 | だいじょうぶ。あなたのとちがって、私のはまだ新鮮よ。 |
男 | ケ、警察に電話しましょう。電話して、自首しましょう。 |
女 | …うふふふふ、あはははは。何を勘違いしてるの、あな た。私は、ゆうべ来るはずだった男のために作った料理 を見て下さいって言ってるのよ。 |
男 | 料理? |
女 | そう。身がってな男の身がってな行動の結果、どうしよ うもなくなって捨てられる運命になった、私の手料理たち。 |
男 | 本当に? |
女 | 見ますか? |
男 | …やめときます。 |
女 | いくじなし。さ。あなたも、この袋持って帰って下さい ね。(女、男のビニール袋を持ち上げる)ずいぶん重い わね。冷蔵庫の中にこんなに入ってたの。 |
男 | いや、冷蔵庫だけじゃなかったんです。 |
女 | なんなの? |
男 | 言っても信じてもらえそうにないから、いいです。 |
女 | そう。 |
男 | 実はね、かわいがってたペットが…。 |
女 | な、なんですって?出張中に死んじゃったの? |
男 | はい。エサもちゃんと置いといたんだけど、やっぱり気 温のせいですかね。帰ってみると台所の床にツボハチが バッタリと…。 |
女 | ツボハチ? |
男 | タコなんです。でも普通のタコじゃなかったんですよ。 「ツボハチ」って呼ぶと、7本目の足をこうやって上げ て、私のヒザの上に乗って来ましてね。それはそれはか わいいやつだったんです。 |
女 | タコがヒザの上に…。 |
男 | これです。袋の上からさわってみて下さい。これがツボ ハチの7本目の足なんです。(袋を女の方にさし出す) |
女 | い、いいです。私、これで失礼します。 |
男 | やっぱり信じてもらえないんだ。 |
女 | いえ、信じてますよ。じゃ、失礼します。 |
男 | 見てやってくれませんか、私のかわいがってたツボハチを。 |
女 | …やめときます。 |
男 | いくじなし。忘れてますよ、手料理の入ったビニール袋。 ほらほら。(男、女のビニール袋を持ち上げる)ん?け っこう大きなものが入ってますね。 |
女 | ええ、丸焼きだったの。 |
男 | 七面鳥かなんか? |
女 | どうでもいいじゃないですか、そんなこと。もう終った ことだし。 |
男 | 七面鳥は、こんなに大きくないよなぁ。 |
女 | ブ、ブタよ。ブタの丸焼き。 |
男 | ブタの丸焼きを二人で?信じられない。 |
女 | じゃあタコはどうなのよ。信じられないなら開けてみれば。 |
男 | わかった。二人で同時に開けてみようじゃないか。 |
女 | い、いいわよ。後悔しないわね? |
男 | そっちこそ。 |
女 | 行くわよ! |
男 | 来い! |
袋をバサバサやる音。「エリゼのために」(ゴミ 収集車が鳴らしてるような)が聞こえる。 |
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男 | あれ?今日、金曜日なのに。 |
女 | 仕方ないわね。また来週ってことにしましょうか。 |
男 | 金曜日にまたここで? |
女 | うん。楽しみだわ。 |
男 | あ。遅刻しちゃうよ。じゃ。 |
女 | 行ってらっしゃい。 |
「エリゼのために」大きくなって終り。 |