第93話 (98/01/09 ON AIR) | ||
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『冬の朝に』 | 作:み群 杏子 |
男 | ドアを閉める。と、空気が止まる。その静止 した感じが好きだ。窓を開けると、冷たい風が 飛び込んで来る。あわてて窓を閉める。床に落 ちた、一通の案内状。 |
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女 | 私たち、結婚します。 |
男 | 冬のひだまりのようなちさちゃん。僕はちさ ちゃんのそばにいればいつだってあたたかくなれた。 |
女 | ちさはじゅんちゃんのこたつなのぉ。 |
男 | 僕のこたつであり、ストーブであり、セータ ーであったちさちゃん。 冬の記憶は、空の星のように、暗い中にきっち りと凍りついて光っている。 夜の重さを持て余して、僕はよく、独り暮らし のちさちゃんに電話した。元気? |
女 | うん、まあまあかな。じゅんちゃんは? |
男 | うん。まあまあだな。 ちさちゃんの孤独と僕の孤独が釣り合っている と確認すると、少しだけ安心できた。 思い出は、なぜかいつも冬だ。 あれは、僕の部屋で、思いがけなく二人で正 月を過ごした時だ。僕は浪人2年目で、ちさち ゃんは看護婦の仕事が忙しくて、二人ともいな かに帰りそびれて、ぽかぽかとした、あたたか い日だった。こたつに向かい合って、おぞうに を食べていた。 |
女 | 南向きの部屋って、勉強するのには、向いて いないのよね。本を読もうとすると横から光が 誘惑しにくるじゃない? 私のアパート、北向 きなんだけど、じゅんちゃんが試験に合格する まで、部屋、かえっこしようか? |
男 | 部屋のかえっこは、結局、実現しなかった。 その年、僕は大学をあきらめた。あれから3年 。同じ所に2ヶ月と持たなかった僕が、今の会 社に勤めるようになって、1年が過ぎた。 記憶とは不思議なものだ。忘れていたと思って いたものが突然蘇ってくる。あの頃、ちさちゃ んには付き合っていた男がいて、そいつとの間 がぎくしゃくしはじめていた。 |
女 | もう、だめかもしれないな。 |
男 | だめなら、また、次のやつ、捜せばいいさ。 |
女 | なんか、じゅんちゃんの言うこと聞いてたら 、すごく簡単そう。 |
男 | 簡単だよ。はい、次のかたって、病院じゃい つも言ってるだろ、ちさちゃん。 |
女 | 恋がいっぱいの待合室があればいいのにね。 |
男 |
ちさちゃんの待合室なら、待っていたい男は いっぱいいるさ。 |
女 | いないよ。 |
男 | いるよ。たとえば僕だ。僕ならいつだってO Kだよ。 |
女 | ありがと、じゅんちゃん。 |
男 | ちさちゃんは、冗談だと思ったのかな?そ りゃ僕たちは、おさななじみで、いとこ同士で 、おまけに僕はみそっかすの泣虫で、ちさちゃ んよりも5つ年下で… |
女 | 私、冬の朝って好きよ。空気がぴーんとして 、景色が糊付けされた洗濯物みたいに清潔なん だもの。たとえそれが飲み明かした徹夜明けの 朝でもね。煙草の煙でもうもうとした深夜喫茶 を出て、始発電車を待っている時だって、寝不 足で、まだ二日酔いが残ってて、お酒の臭いな んかさせていたって、朝のつめたい空気がみん な清めてくれちゃうのよね。 |
ちさちゃんが結婚する。 窓の外がすこしづづ明るくなって、ちさちゃん の好きな朝が近づいてくる。 駅の階段を急ぎ足で登っていく黒いブーツのち さちゃん。かじかんだ手を温めるようにミルク ティを飲んでいたちさちゃん。白く曇った窓に 指で落書きをしていたちさちゃん。 「ご招待ありがとう。とても残念なのですが、 仕事があって、式には行けません。でも、ちさ ちゃんの好きなピンクのバラを送ります。… 結婚おめでとう、ちさちゃん」 |
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END |