第11話 (96/06/14 ON AIR) | ||
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『雨の日の電話』 | 作:み群 杏子 |
男 | 雨が降っている。あいつ、まだ泣いてるんだ。 しょぼ濡れて、さらしくじらみたいに、 きしきし、泣いてるんだ。 |
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女 | どこかで電話がなっている。遠いような近いような、 かすかな音。夢の中から手をのばすが、届かない。 今、何時?。 |
男 | 昨日と今日の間で、身動き取れなくなっている俺。 止まった時間。止まった約束。ネジを巻さえすれば 動き出すのに。 |
女 | やっとのことで、受話器をはずす。ぼんやりと開けた目に、 モジリアニの女が、首を傾けている。 今夜はもうだめ。私、飲みすぎてしまった。 |
男 | 前に、何かの本で、読んだことがある。 どこかの星に行くと、そこは、雨の惑星で、 最初から最後まで雨がふっているんだ。 |
女 | モジリアニの女は、さびしそうに笑っている。 このだだっぴろい宇宙に、独りぼっち。 今、私は宇宙というお湯のなかで、皮の剥けたトマトみたいに つるんつるんの素っ裸になって、漂っている。 |
男 | 時間の闇をカンガルーが走っている。あれは、そうだ、 あいつと行った動物園だ。カンガルーの柵の前で、 まぬけなキスをしたっけ。 |
女 | 初めてのキスは3年前。雨の動物園。白いレインコートを着た私…。 どうして?受話器の向こうから、足音が聞こえる。 |
男 | 雨の中を、俺のカンガルーが走る。タキシードに 蝶ネクタイをした俺のカンガルー。 |
女 | あ、走り出した。だんだん、近づいてくる。 |
男 | 後ろを向いて待っているのは、あれは、白いレインコートを着た、 あの日のあいつだ。いや、ちがう。あれもカンガルーだ。 カンガルーの花嫁が、白いウェディングドレスを来て、 俺を待っている。 |
女 | ばかなことでけんかをしてしまった。 どちらかが折れればよかったのに。どちらも強情で 謝るということを知らないのだ。電話を待って、 待ちつかれて眠ってしまった。 あ、また、空耳だ。電話が鳴っている。 |
男 | 駅前に終電まで開いている花屋があったな。 |
女 | あの時、あの人が、カバンに隠した花。あれは赤い薔薇の花だった。 私に渡そうとして、恥ずかしくて、やめてしまったという贈り物だ。 何日かたって、あの人が見せてくれた時には、花は、惨めな形で かばんの中で枯れてしまっていた。 あの人は、また買ってやるからって、捨ててしまって それっきり。 |
男 | 今度こそ渡すぞ。俺はカンガルーの花婿として、 未来の花嫁に花束を贈るんだ。 |
女 | 電話が鳴っている。永遠にも近い、長い間。 夢の中で、何度も受話器を外しては戻す。 雨の音が大きくなってきた。 |
男 | 今度は一本ではない。あいつの歳の数だけ買う。 今日はあいつの誕生日だったんだ。 いや、、もう昨日になってしまった。 恋人の誕生日を忘れる男なんて最低だ。 仕事が忙しかったとか、疲れていたとか、 言い訳をする前に謝るべきだった。 |
女 | たいしたことなかったのに。別に責めるつもりはなかったのに。 泣いたふりをしていたら、何だか本当に泣きたくなってきた、 ぴいぴい泣いてしまった。 |
男 | もう少しだ。もう少しであいつの家につく。 |
女 | 誰だろう。あれは。モジリアニの女かと思ったら、 カンガルーだ。白いウエディングドレスを着て、柱時計の ネジを巻いている。いつからか止まったままの時計。 カチ、コチ、カチ、コチ… (女の声がそのまま時計の音になり、時計の音が、 そのまま電話のベルの音に替わっていく) |
女 | (受話器を上げる)もしもし… |
男 | 俺、寝てた? |