第225話 (2000/07/21 ON AIR)
『さまざまな結婚』

  

作:四夜原茂

「老人2人の会話です。
デパートのすみっこによくある喫茶室。平日の昼間なのに
かなり混んでる。じいさんが手を上げて合図する。

男 

おーい。こっち、こっち、こっちじゃー。どこ見とんじゃ、
わしはここじゃ。おーい。じれったいやつじゃなまったく。
耳も遠くなってもうたのかの。おーい、ここじゃ、ここじゃー
と、ティースプーンで、お茶の皿をカチャカチャたたく。

女 

あなた、やめて下さいよ。はずかしいじゃないですか。

男 

なにがはずかしいんじゃ。お前、もうちょっとで迷子になる
とこじゃったろ。わしが呼んでやったからほれ、こうやって
迷子にならんですんだんじゃ。

女 

はいはい。

男 

なにつっ立っとるんかの?すわってまあお茶でも飲んだちぇえ。
おーい。そこのあんた。店の人か?ああ、注文じゃ。コーシー
でええか?

女 

ええ、コーヒーにします。

男 

コーシーをたのむ。砂糖は多めに入れといてもらおかの。お
前、その方がええじゃろ。甘党じゃしの。わしのコーシーな
んかほれ、見てみろや。砂糖の「さ」の字も入っとりゃせん
が。そらぁもう下がピリピリして飲めたもんじゃねえがな。

女 

あなた、砂糖はここに入ってるんじゃありませんか。ほらほ
ら、こんなにたくさん。

男 

…ほんに。このツボに入っとったのかー。それならそうと言っ
てくれんと分からんじゃねえか。サービスの悪い店じゃなぁ、
まったく。

女 

入れてあげますよ、わたしが。いくつ入れましょうか?

男 

まず、5杯くらい入れて様子を見ようかの。

女 

はいはい。まず5杯ですね。

男 

…で、どうじゃった?ええの見つかったかの?

女 

見つかったって、何がですかね?

男 

な、なんじゃて?お前、何も買うてねぇのか。

女 

あれ?何か買う約束でしたかね。

男 

なに言うか。お前が言いだしたんじゃど。記念日じゃからプレ
ゼントの交換でもしよまいかって。

女 

あら。

男 

「あら」ってお前、じゃあ何のためにわしら、電車乗って、
デパートまで来とんじゃ?

女 

…さあ。

男 

だめじゃ。とうとうボケがはじまってもうた。

女 

ああ、誰でもなるんですよ。たいした事ないですよ。ちょっと
忘れっぽくなってるだけですからね。

男 

でもよ。記念日っちゃ、大事な日なんじゃ。それをお前…あ、
コーシー来た。

  カチャリとテーブルに置く音。
女 

ああ、どうも。それじゃ、いただきます。

男 

砂糖は多めに入れといてくれたかの?あんた。砂糖は入れとい
てくれたかの?

女 

あなた。砂糖はこのツボに入ってますって。

男 

あ、ああ、ああ、そうじゃった。

女 

あなたは何を買ってくれたんですか?

男 

わしはちゃんと買うた。宝石売り場のねえちゃん達に相談して
の。50年間苦労かけた嫁にはじめてのプレゼントじゃからっ
て…。

女 

あなた、宝石買ったんですか?

男 

ああ、ドーンと宝石ば買うた。お前のためじゃけん。金に糸目
はつけんじゃった。

女 

…。

男 

あれ、どげんした?そんな目ばふせて。うれしくなかか?

女 

うれしいですよ、そりゃ。なんか、昔のこと思い出しちゃった
んですよ。そしたら何か、なんか泪が出て来ちゃったんです。

男 

ああ、昔のことか。お前、美人じゃった。ああ、今でも美人じ
ゃとわしは思っとるがの。昔は若くて美人じゃった。白い綿帽
子かむったお前が馬に乗って来たあの日、ほんにわしは、しあ
わせ者じゃと思うた。

女 

あなたも、りりしい男でした。ああ、今でもりりしい男だと私
は思ってますよ。でも、若い男は輝いて見えるもんでしょ。あ
たしもしあわせ者だって思いましたよ。

男 

うれしくてうれしくて、婚礼で飲みすぎたわしは、そのまま酔
いつぶれてしもうたんじゃなかったかの。

女 

うふふふ…。お調子者でしたね。あなた。

男 

そうじゃ、調子に乗って、踊りまくった。あれがいかんかった。
気がつくと朝が来ちょって「しもたー!」とわしは大声でさけ
んだんじゃ。

女 

うふふ…。ほんとに大声でしたよ。アハハハ…。

男 

その後、旅行に行ったかの?

女 

熱海でした。

男 

おろ?白浜じゃなかか?

女 

熱海でしたよ。

男 

たしか白浜じゃと思ったんじゃが…

女 

どっちだっていいじゃないですか。たいした違いじゃないですよ。

男 

ああ、そうじゃな。たいした違いはないわな。一泊二日の新婚
旅行じゃ行き先はどこでもよかったんじゃ。

女 

え?はじめて聞く話ですよ、それ。行き先はどこでもよかった
んですか。

男 

あたり前じゃろ。新婚旅行なんじゃもん。目的はひとつだけじゃ。

女 

そうだったんですか。

男 

じゃが、まてよ。この旅行でもわしは、酔いつぶれちょったかな?

女 

あたり前ですよ。あんなに飲んで、何度も温泉につかったら誰
だってフラフラになりますって。

男 

はずかしかったんじゃろ。

女 

え?

男 

なんかの。わしら、見合いの時に一回だけ顔を見て、次に会う
たのが婚礼の日じゃったろ?なんかわし、はずかしゅうて、そ
れで酒のいきおいで、お前と…。

女 

あーあ。なんかそんな感じでしたね。二人っきりになるとなん
かソワソワしてましたでしょう。仕方ないから散歩に出て、お
宮の松の前で写真とったりしましたよ。

男 

そんなことしちょったかの?海を見ながら砂浜を歩いたのはな
んとなく覚えちょるんじゃが、お宮の松とかは覚えちょらんなぁ。

女 

あなた緊張してましたよ。出来上がった写真を見ると、口をへ
の字にして、こうやって腕組みして海をにらみつけてましたよ。

男 

そんなことしちょったか…。やっぱ、はずかしかったんじゃろ
な。お前はどうだったんじゃ?

女 

あたしも、そりゃ、はずかしかったんですよ。だから、あんま
りしゃべらなかったでしょ。

男 

ああ、そうじゃったなぁ。お前、あんまりしゃべらなかったか
ら、わしがひとりでいろんなことしゃべって…なんか、こいつ
わしと居るのいやなんじゃないかなとか思っちょった。

女 

そうじゃなかったんですよ。そうじゃなくて、なんかはずかし
かったし、あなたがどんな人かまだわからなかったし…。

男 

そうじゃったのかー。

女 

今ならいろいろ話せて楽しいでしょうにね。もったいないこと
しましたね。

男 

ああ、もったいない旅行じゃったなぁ。

女 

ええ、もう二度と行けませんしねぇ。

男 

…行ってみるかの。

女 

え?

男 

白浜。

女 

熱海。

男 

ああ、熱海。

女 

だめですよ。もう手おくれなんですよ。

男 

あー、やっぱり手おくれなのかのー。…お前、あれ知り合いか?

女 

え?

男 

ほれ、あのバアさん。さっきからずーっと、こっち見てるんじ
ゃがな。見覚えはあるんじゃが、誰だか思い出せん。誰じゃっ
たかいのー?ほれ、大きな包みかかえて、入り口の所につっ立
ってるじゃろ。

女 

あらあら、たいへん。こんな所に私がいたんじゃ奥様はお困り
でしょう。じゃ、失礼します。

男 

え?なんじゃて?

女 

ほらほら、大きなプレゼント持ってるじゃありませんか。あな
たは、ちょっと忘れっぽくなってるだけなんですよ。私が呼ん
で来ますから、スプーンでカチャカチャやって、人を呼んだり
しちゃいけませんよ。じゃあね。

  おわり