- ここは××高校。二年八組の教室。
- 現
- 退屈な授業も終盤。今ごろも視聴覚室で眠っているであろうあの美少女のように、
俺も安らかな睡眠を過ごしてみたいものだ。あと六秒でチャイムが鳴る。
- 現がカウントダウンをしていく。
- 夢遊
- つまり雪とは、水蒸気が雲のなかで昇華凝結してできた氷粒子であり、
- 現
- ゼロ。
- チャイムの音。
遠藤姉妹が廊下をドドドドドと走ってくる。
- 栞
- お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!
- 千代
- ゲン兄! いるか、ゲン兄!
- ガラリと教室の扉が開く。
- 現
- 栞と千代。俺の大切な双子の妹だ。
- 栞
- お兄ちゃん、事件だよ!
- 千代
- ゲン兄、大変なことが起きた!
- 夢遊
- おいおいお前ら、まだ授業中だぞ。
- 栞
- (千代と同時に)返り血を浴びた初老の男性が土のうを持って、
- 千代
- (栞と同時に)視聴覚室で眠る美少女が覚めない夢からとうとう、
- 夢遊
- うるさい! もう少し廊下で待っていろ。
- 栞
- もうすでにチャイムは鳴ったんだよ、夢遊先生。
- 千代
- 授業はお仕舞いだ、夢遊先生。
- 夢遊
- 姉妹はお前らだろ、遠藤姉妹。
- 栞
- そのエンド・オブ・姉妹が終わらせにきてあげたんだよ。
- 千代
- 教科書をしまいな、夢遊先生。
- 栞・千代
- チャイムは鳴ったんだ(よ)!
- 夢遊
- やれやれ。それじゃ、続きは宿題としよう。雪の結晶の観察だ。
降ってくれば楽だろうが、なかなか都会には降らんだろうからな。
ペットボトルを用意して、さっき説明した手順で、各自しっかりやるように。
- 栞
- きりーつ!
- 千代
- れーい!
- 椅子を引く音など。生徒たちが教室を出ていく。
- 栞
- ほれっ、ほれっ、全員さっさと出ていくんだよ!
- 生徒一同
- (男「なんなんだ一体」や、女「可愛いじゃない」など、教室を出る)
- 現
- お前たちのせいで、余計な宿題が増えたというのに。
- 千代
- ゲン兄。視聴覚室の眠り姫を知っているか?
- 栞
- ついに目覚めてしまったんだよ。
- 現
- 通称、視聴覚室の眠り姫。本名、石川睡。学校で暴れまわるのがアクティブな
不良なら、睡は教室を占有して延々と眠りこけるイナクティブな不良だ。
先生方にとって悩みの種ではあったものの、事件性も緊急性も低いため
今まで放置されてきた。やっと目覚めたのなら、それはいいことじゃないか。
- 栞
- いいことじゃないんだよ、お兄ちゃん。
- 千代
- 眠り姫は、夢の中で怪物を飼っていたんだ。
- 栞
- 目覚めたってことは、夢から怪物を逃がしたってことなんだよ。
- 現
- そういえば、さっき返り血がどうのとか言ってたな。
- 栞
- 土のうを手にして返り血を浴びた初老の男性だよ。
- 千代
- その怪物が眠り姫の夢から逃げ出したんだ。
- 現
- なんだそのダークファンタジーは。サンタクロースの見間違いじゃないのか。
- 栞
- サンタクロースなんて実在しないんだよ、お兄ちゃん。
- 千代
- 子どもみたいなこと言うなよ、ゲン兄。
- 栞・千代
- 視聴覚室に行って、もう一度眠り姫を眠らせて欲しいんだ(よ)!
- 現
- 二人は俺の手を取って走り出した。
- 二人、現の手を引き、睡のもとへ誘導する。
ドドドドドと廊下を走る音。ガラリと視聴覚室のドアが開ける。
- 千代
- (小声で)ゲン兄、あそこ。
- 栞
- (小声で)なんで急に目が覚めちゃったのかわからないんだよ。
- 現
- 石川睡。何度も寝顔を見たことはあるが、立っている姿は初めて見る。
眠り姫の称号に相応しい、実に可愛らしい美少女だ。俺は事の顛末を説明した。
- 睡
- そうか、変わったこともあるもんだ。確かに悪夢に悩まされてはいたが、
あの怪物が私の夢から逃げ出してしまったとは。
- 現
- 視聴覚室を占有しながら、視覚も聴覚も眠らせてきた彼女の頭は、
どうもまだ寝ぼけているらしい。
- 千代
- まだ信じてないのか、ゲン兄。
- 睡
- 確かに妹ちゃんたちの話す返り血を浴びた初老の男性もとい怪物は、
まさに私が悩まされてきた悪夢の登場キャラクターだよ。
しかしなぜ、妹ちゃんたちが私の夢の内容を知っているのかな。
- 栞
- そ、それは言えないんだよ。
- 千代
- それより早く、もう一度眠って、
- スピーカーからハウリングの音。栞・千代、驚く。
- 夢遊
- 全校生徒に告ぐ! 校内に怪物が現れた!
しかしすでに複数の先生で取り囲むことに成功している!
廊下や校庭にいるものは今すぐ近くの教室に入れ!
- 現
- これは驚いた。
- 睡
- 危険だね。あの怪物は強いよ。
- 栞
- だから眠り姫にもう一度眠ってほしいんだよ!
- 千代
- 夢の中の出来事は、夢の中で終わらせるべきなんだ!
- 睡
- ふむ。ところでお兄ちゃんと呼ばれる君。念のため聞くが、
さきほど何度も私の寝顔を見たといったかな?
- 現
- 確かに言った。モノローグの中でな。
- 睡
- 視聴覚室で眠る私の顔を、何度も眺めに来たということかい?
- 現
- いや、失言だった。
- 睡
- ならば、私が目覚めた理由に、何か心当たりがあるんじゃないかな?
- 現
- ちくしょう。
- 栞
- お兄ちゃん、なんで震えてるの?
- 千代
- ゲン兄、すごい汗だぞ?
- 睡
- 姫が眠りから覚める理由なんて、たったひとつに相場は決まっているのだが……。
- 栞
- お兄ちゃん、もしかして。
- 千代
- ゲン兄、まさか……。
- 睡
- 君、眠っているすきに私の唇を奪ったんじゃないのか?
- 栞
- ひぃっ。
- 千代
- はぅっ。
- 現
- 俺は目を閉じて、ゆっくりと、うなずいた。
- 栞
- へへへへへ変態なんだよ、お兄ちゃん!
- 千代
- ゲン兄、なんてことを……!
- 現
- 年がら年中眠っていて、片時も起きない美少女がそこにいる。
さてその無防備な唇を無視できる男など、サンタクロース同様、いないのだ!
- 睡
- だけど珍しくないんだ、こうして起こされることはね。
いつも踏んでる段取りがある。キスによって目覚めたのだから、
その反対を行えば眠れるよ。
- 千代
- その反対? 反対のキスってことか?
- 栞
- なんだかエッチなんだよ……。
- 睡
- ただ逆さまにしてくれればいいんだ。キスという言葉を。
そして、もし私にキスをした理由が単なる情欲だったならば、
それも逆さまの純愛にしてくれ。姫はただ戸惑って目が覚めたんだ。
安心さえ与えてくれれば、もう一度安らかに眠ることができる。
そう、今度は、君の夢でも見てね。
- スピーカーからハウリングの音。栞・千代、驚く。
- 夢遊
- 全校生徒に告ぐ! かなり危険な怪物だ! 警戒しろ!
- 先生ら・怪物
- (スピーカーから悲鳴や「ウオォォォ」という怒声など)
- 栞
- お兄ちゃん!
- 千代
- ゲン兄!
- 現
- 俺は眠り姫こと石川睡をまっすぐと見つめて、キスを逆さまにした、
愛の言葉をつぶやいた。まさか初告白を、家族の眼前で披露することに
なるとはな。
- 睡
- そうかい。それで私の唇を奪ったんだな。無断で行為に至ったことは許さないが、
好意を持たれたことは嬉しく思うよ。ふぁぁ(あくび)。安心した。
- 現
- 彼女は横になりながらつぶやき、そして、眠った。
- 千代
- 眠った?
- 栞
- 眠ったんだよ。
- 千代
- それじゃ。
- 栞
- うん。
- 現
- 妹二人は彼女の耳元に近づき、なにやらささやき始めた。
- 栞
- 土のうを振り回し、次々と市民に襲いかかる初老の男性。
- 千代
- ウオォォォ、ドカーン。
- 栞
- キャー、助けてー。
- 千代
- 暴れまわるサンタクロースの成れの果ての怪物に、ひとりの男が立ち上がる。
- 栞
- その名もキャプテン・ゲン。
- 現
- ええ?
- 栞
- 彼は勇ましく立ち向かい、
- 千代
- 怪物の攻撃をものともせず、
- 栞
- あっという間に制圧した。
- 千代
- 「おとぎの国へお帰り」
- 栞
- そう告げると、怪物はかつての穏やかな老父だったころと同じ微笑みを返し、
- 千代
- ゆっくりと、消滅していった。
- 栞
- ほーっほっほっほっほ……。
- 栞・千代
- おしまい。
- スピーカーから。
- 夢遊
- あー…全校生徒に告ぐ。信じがたいことだが、怪物が先ほど消滅した。
見失ったわけでも、取り逃がしたわけでもない。
目の前で、雪のように消滅した。夢でも見ていたようだ。
それぞれ職員室に来て、担任の先生に顔を見せなさい。やれやれ。
- 千代
- 良かった。
- 栞
- 一件落着なんだよ。
- 睡
- (寝息)
- ***
- 千代・栞
- ごめんなさい!
- 現
- 妹たちはどうやら、たびたび眠り姫に対して口から出まかせのおとぎ話を
吹き込んでいたようだ。そしてどういう理屈か知らないが、
眠り姫は目覚めたとき、それまで夢に見ていたおとぎ話を、
この世界に具現化させてしまうらしい。
- 千代
- 姫はね、怖い話をすると、眉間にシワがギュッと寄るんだ。
- 栞
- 可愛くて調子に乗っちゃったんだよ。
- 現
- 確かにその顔はぜひ見てみたいが、眠っている人にいたずらをするんじゃない。
- 栞
- お兄ちゃんに言われたくないんだよ。
- 千代
- 栞、先生にも謝りに行こう。
- 栞
- お兄ちゃん、勝手にキスしちゃだめなんだよ?
- 現
- わかっているとも。
- ドアを開ける音。
- 栞・千代
- 先生、ごめんなさーい!
- ドドドドドと廊下を走り去っていく。
- 現
- さて。俺は今から眠り姫に、雪の降る物語でも聞かせてやろうと思う。
宿題を楽に済ませたいからだ。そこで問題が三つ。
まず一つ目。雪の降る夢を見させたところで、
勝手にキスをしてはいけないということ。
そしてもう二つ目。彼女はこうして起こされることは珍しくないといった。
俺が我慢をしたところで、他の奴らに唇を奪われるのは癪だということ。
そして最後に。次にキスをしてしまったら、今度はキャプテン・ゲンなる人物が
この世に現れてしまうのではないかということだ。
おとぎ話もいいが、もう少しマシな終わらせ方はなかったのか、遠藤姉妹たちよ。
- 睡
- (寝息)
- END