- 男
- 『ムラサキキャベツムラサキ。
この謎の言葉が頭の中にこびりついて離れない。
どうしてムラサキキャベツで終わらない。どうしてムラサキを重ねる。
ムラサキキャベツムラサキ。
二回目のムラサキを我慢してみる。気持ちが悪い。
どうしてもキャベツのあとのムラサキを言いたい。
ムラサキキャベツムラサキ。やっぱりこうでなくちゃ。気持ちの悪さがすっとひく。
別の気持ちの悪さ。ムラサキキャベツムラサキとは一体なんだ。
俺は一生この些細な問題、
いや俺自身からしてみれば大きな問題に振りまわされるのだろうか。
考えれば考えるほど頭にこびりつく。
ムラサキキャベツムラサキ。
ムラサキキャベツムラサキ。
ムラサキキャベツムラサキ。
頭の中が紫色のキャベツで支配される。そのキャベツから紫色が辺りに染み出ている。
つまり俺の頭から紫色が辺りに染み出ていることになる。
街が少しずつ紫色に染まっていくのは、つまり俺が街中を歩いているからだ』
- 影
- 君、困るじゃないか
- 男
- なにが困るんだ?
- 男
- 『真っ暗な影が俺に話しかける。
冬とはいえ昼だから明るく、晴れてもいるから影は目立つ。
どうやら、敵意はないらしい』
- 影
- こんなめでたい日に、そうやって紫色を撒き散らされては困ると言っているんだ。
大体どうやって紫色を撒き散らしているんだ。
君以外にそんなはた迷惑なことをしている人間はいないだろう
- 男
- 『当たり前だ。そんなやつがいたら気味が悪くて仕方がない』
- 影
- とにかくそんな不吉なことは一刻も早くやめるんだ。
そうでなくては、私だっていつまでも穏便に、というわけにはいかない
- 男
- 俺だって困ってるんだ。知らない間に俺の頭がムラサキのキャベツになって、
紫色が染み出している。なんだか俺ばかりが損をしているようで
- 影
- キャベツ? どこにキャベツがあるというんだ
- 男
- いや、俺の頭がキャベツだろう。ムラサキのキャベツ。ムラサキキャベツ。
いや、ムラサキキャベツムラサキ
- 男
- 『俺はしまったと思った。ムラサキキャベツムラサキと言うべきではなかった。
しかし、言わずにはいれなかった。ムラサキキャベツで留まることは、
気持ち悪くて仕方がなかった。
俺がムラサキキャベツムラサキまで言えてスッキリしていると、目の前の影は、
なにがきっかけだったかわからないが、真っ赤になって俺に敵意を向けている』
- 影
- なんだ、ムラサキキャベツムラサキって
- 男
- 『当然の疑問。しかし、俺にも答えはない』
- 影
- なんなんだ、ムラサキキャベツムラサキって
- 男
- 『俺は黙っている。しゃべる言葉がない。
黙っている俺に影はぬっと近付く。気配を消して。
おかげで影が近付いてくるのを気付かなかったほどだ。
俺は慌てて身を翻して、走り出す。怖かったからだ。純粋な憎悪。純粋な殺気。
あんなに恐ろしいものを俺は知らない。
俺は走りながら、街のいたるところを紫色に染める。街を幸福に彩るデパートも、
幸福なカップルたちが集う派手な色彩のラブホテルも紫色に染める。
あれだけ活気に溢れた街が俺のせいでどんよりしはじめる。
俺はたくさん走ったが、いつまでもあの真っ赤な影に追いかけられている気がする。
俺のキャベツから紫色が漏れ出ている。
これを追いかけてこれば、俺の居場所はわかる。
そして行き止まり。壁に囲まれてしまった。俺はここまでだろうか。短い人生だった。
頭がキャベツになってしまった俺は、あの影にどうにかされるのだろう。
思い浮かぶのは、ただムラサキキャベツムラサキ。
余計なムラサキがついたムラサキのキャベツ。ムラサキキャベツムラサキ』
- 影
- なんだなんだなんだ、ムラサキキャベツムラサキって
- 女
- あなた、ちょっといいかしら
- 男
- 『目の前に女がいる。まるで女神かと思った。女は優しい笑顔を俺に向ける。
女は俺からあふれでる紫色を口で吸い取るとこう言った』
- 女
- どうぞ、こちらへ
- 男
- 『俺の腕を引っ張って、行き止まりの壁に空いた穴に引きずり込む。』
- 影
- あのキャベツ頭、どこへ行きやがった
- 男
- 『壁の向こうでは、無限に広がった憎悪の声。いつまでも俺を探しているようだ。
間一髪のところで助けられた。危ないところだった』
- 女
- ここは安全です。なにがあったかはわかりませんが危ないところでしたね
- 男
- ありがとうございました
- 男
- 『穴の中。女との距離が近い。女からは懐かしい甘い匂いがする』
- 影
- こっちじゃないのか。あっちを探すぞ
- 男
- 『壁の向こうから憎悪の気配は消えた。どこかへ行ったらしい』
- 女
- これで安心ですね
- 男
- 『何故だかわからないが、俺はこの女はふしだらな女だと思った』
- 女
- それにしても、どうして憎悪に追われていたんですか?
- 男
- いや、俺にも理由はわからない
- 女
- なにか理由があったはずです。理由がなにもないのに、
あの影はあんなに怒りを人に向けたりはしません
- 男
- 俺は今、人、なのだろうか?
- 女
- あなたは人でしょう。人じゃなかったらなんなのですか?
- 男
- 俺はキャベツではないか?
- 女
- キャベツって、あのキャベツ? あの甘い野菜?
- 男
- そう。ムラサキのキャベツ。ムラサキキャベツムラサキ
- 女
- ムラサキキャベツムラサキ? ムラサキキャベツムラサキってなんなんですか?
- 男
- 俺にもわからない。いつの間にか頭がそうなっていて、そればかり考えている。
ただ、俺がムラサキキャベツムラサキってあの影に言ったら、憎悪に変わった。
そう。それがきっかけだった
- 男
- 『女は考えている。しばらく考えたあと、女は口を開いた』
- 女
- 確かにミドリキャベツミドリって言わないですもんね
- 男
- 『なにを言っているんだ、この女は。面白いと思って言っているのか』
- 女
- でも、キミドリキャベツキミドリならおかしくないのかもしれない。
ようは四文字で挟めば語感的には成り立ちますね
- 男
- いや、おかしいと思う。キミドリにしても、ムラサキにしても、
キャベツのあとにもう一度言うのはおかしい
- 女
- おかしいって、
あなたがムラサキキャベツムラサキって言い始めたんじゃありませんか
- 男
- 確かにそうだけど
- 女
- その中で、私はどうしたら成立するか考えてるのに。おかしいですね。ふふ
- 男
- 『女は笑った。途端に辺りが華やぐ。俺は恋に落ちた。
ふしだらかもしれないという予感はふしだらであってほしいという願いに変わった。
しかし、俺はこの女にはなにもしない。
頭がムラサキのキャベツに変わってしまっても理性はある。まだ人間でありたい。
俺はまだ人間であるのだろうか』
- 女
- あら。また紫色が吹き出している
- 男
- 『女が言った。そう言って、また紫色を吸い込んでいる。
言われてみれば、そんな感じがして俺は頭を押さえる。
いつまでも吸い込ませるのは申し訳ないし恥ずかしい。
でも、間に合わなかった。女のお陰であんなにも穴の中は華やいでいたのに、
俺のよくないものに変わってしまった』
- 男
- 申し訳ない。俺の紫色を吸い取ってもらっていたのに
- 女
- いえいえ、いいんですよ。憎悪はもうどこかへ行ったみたいなので、
ここから出ましょう。私は帰りますね
- 男
- 『女はそう言って、穴の中へと進んでいく。
俺は元来た方に戻るか迷ったが、女の後をつけることにした。
とっくに光は届かなくなっている。女の足音と甘い匂いを手がかりに転がっていく。
ムラサキキャベツムラサキ。
ムラサキキャベツムラサキ。
ムラサキキャベツムラサキ。
勝手に口から言葉が出てくるようになってしまった。
女は後ろを振り向くことなく進んでいく。俺のことを気付いていないのだろうか。
それとも気付いていてわざと振り向きもせず歩いているのだろうか。
遠くに小さな光。ようやく出口らしい。
穴を出ると、
傾斜があって、そこにはキャベツが無数に転がっている。
緑のキャベツじゃない。ムラサキのキャベツ。ムラサキキャベツ畑だろうか。
女の姿も女の甘い匂いも見失ってしまった』
- 老人
- メリークリスマスメリー。メリークリスマスメリー
- 男
- 『遠くから男の野太い声が聞こえる。いやに上機嫌な』
- 老人
- メリークリスマスメリー。メリークリスマスメリー
- 男
- 『サンタクロースが着ているような服を着ている老人が腰を屈めている。
もしかしたら老人は本物のサンタクロースなのかもしれない。
メリークリスマスメリーと言う度にサンタクロースは屈む』
- 老人
- メリークリスマスメリー。メリークリスマスメリー
- 男
- 『サンタクロースはムラサキキャベツを刈り取っている。
刈り取る度にムラサキキャベツの断末魔が聞こえてくるような気がする。
- 老人
- メリークリスマスメリー。メリークリスマスメリー
- 男
- 『ムラサキキャベツを刈り取りながら、
サンタクロースのような老人が俺の方に近付いてくる。
近くまで来て、ようやくわかった。この老人はサンタクロースじゃない。化け物だ。
赤い服を着た化け物。化け物がムラサキキャベツを刈り取っている。
ムラサキキャベツムラサキ
ムラサキキャベツムラサキ。
ムラサキキャベツムラサキ
怖い。化け物が近付いてくる。怖い。怖い。化け物が近付いてく。怖い。怖い。怖い。
と思っているところでで目が覚めた』
- 老人
- メリークリスマスメリー。メリークリスマスメリー
- ――終わり。