- 風呂場のおけとオケがぶつかる音。
にぎやかな脱衣所。
- ゆき
- ここはお風呂や。松の湯です。うちは今夜も番台に立ちます。
しまいまであと30分。武田のおっちゃんは、かれこれ一時間、まだ出てきません。
おっちゃーーーん!
- 番台から風呂場のほうへ声をかける、ゆき。
- ゆき
- 武田のおっちゃーーーん!
- ジイ
- ほおい。
- ゆき
- 大丈夫ーー? のぼせてない?? 生きてるーーー!?
- ジイ
- ゆきちゃん。そない大声で叫ばんでもやな。
- ゆき
- ええ? なんてーーー?
- ジイ
- だいじょうぶやーーーー。ええ湯加減やでー。
- ゆき
- はー、よかった! おっちゃんいっつも長風呂やさかい、
のぼせて倒れてるんちゃうか、って心配になるわ。
はよ上がりよー、フルーツ牛乳、冷えてるしねー!
- かぽーんと音が響いて、湯船。
- ジイ
- はー、やれやれ。あの子の声はよう響くわ。
- 男1
- ほんとです。ゆきさんの声は、きれいで、鈴のようで。
- ジイ
- 鈴!
- 男1
- いいな。僕も、心配されたい。
- ジイ
- なんでや。
- 男1
- だって、その、いいじゃないですか。
- ジイ
- どこの誰かよう知らんけど、兄ちゃん。あんた変わっとんな。
- 男1
- 変わってなど。
- ジイ
- いや、変わっとる。
- 男1
- 変わってません! ただ、ただ、僕は、僕は。
- ジイ
- なんや、顔どんどん赤なっとるど。大丈夫かにいちゃん。
- 男1
- ただ僕はーーー!
- ザバーとお湯が流れる音。
- まちこ
- こんばんわー。
- ゆき
- まちこちゃん! いらっしゃい!
- まちこ
- よっ、松ノ湯の番台娘。あんたの声、 表まで響いてたで。
- ゆき
- えっ
- まちこ
- 「早よあがりよー、フルーツ牛乳冷えてるでー」
- ゆき
- えええっ
- まちこ
- 亮治 兄が笑っとったわ。
- ゆき
- 亮治兄 ! 今外にいるん?
- まちこ
- いるで。チャルメラ吹いて屋台出している。ラーメン一杯500円。
- ゆき
- 亮治兄。
- まちこ
- はい、お風呂一杯450円。
- ゆき
- おおきに。
- まちこ
- もう、ゆきー。 名前聞いただけでぽーっとして。
- ゆき
- そんなことない!
- まちこ
- そんなことあるわ! すーぐ顔に出る。
- バサバサと服を脱ぐ音。
- まちこ
- 見て! 新しい下着。どない?
- ゆき
- ええと思う。
- まちこ
- もう!まだぽーっとしてる。ええか、亮治兄はもうじき結婚するんやで。
いい加減、諦めや。
- ゆき
- そんなん、わかってる。
- まちこ
- わかってるて。わかってへんやろ。
- ゆき
- わかってます!
- まちこ
- まー。そら長い間片思いやったしな。無理ないけどな。
- ゆき
- まちこちゃん! さっさと入ってきて! あと20分でしまいやで。
- まちこ
- おー、こわいこわい。はいはい。お風呂お風呂!
- ガラガラと風呂場の扉を開ける。
- オバ
- あら、まちこちゃーん!
- まちこ
- あっ、武田のおばちゃんも来てたん!
- オバ
- 早よ閉めて閉めて、湯気が逃げるで、もったいない!
- まちこ
- はあい!
- ガラガラとしまった先で、風呂屋の賑わいがやってくる。
- みんな
- あそこはゆず湯。あっちはバラ湯。漢方・薬膳・湯の香り。
エメラルド色した電気風呂、黄色いオケもカラフルで、
はー。この世のお湯の、パラダイス。パラダイス!
- ザバーと音が響く。
- みんな
- ふぅ・・・。いい湯やなあ・・。
- ゆき
- 松の湯は創業100年の小さなお風呂やです。
昼間はおばあちゃんが番台にたち、夜はうちが立ちます。
お父さんとお母さんを、早くに亡くして、やっとこたどり着いた、
ここは、うちの大事なお城です。
- ガラガラと扉が開く。
- ジイ
- あぁあがったでえええ。
- ゆき
- おっちゃん! ゆでだこやんか!
- ジイ
- あかんんんん。
- ゆき
- 扇風機扇風機。
- ブーーーと扇風機が回る。
- ゆき
- 言うたやんか、早よあがりって。もう年なんやから、無理したらあかんって。
- ジイ
- いやー、若者と話こんでしまってな。ゆきちゃん、隅におけんで君は。
- ゆき
- はあ?
- ジイ
- 言うなれば君は、風呂屋の片隅に咲く、一輪の花やな。
- ゆき
- 何いうてんの。おっちゃん。
- ジイ
- ははは。うれしくてな。わし、小さい頃から君を知ってるさかい。
しみじみと嬉しいんや。
- ゆき
- 何いうてんの、もう!
- ガラガラ
- オバ
- ええ湯やったわぁ。あー、さっぱり。
- ゆき
- おばちゃん! おっちゃんのぼせてんで。
- オバ
- なんやて!ちょっとあんた!大丈夫かいな!
- ゆき
- おばちゃん! まずは服を着て。
- オバ
- あああ(服を着だす)。まったくもう。この人は。ほんとにもう、手のかかる!
どうやって家まで運んだらええねんなもう。
- ジイ
- 大丈夫やーー。もうちょっとじぃーっとしとったら、すぐ治るわ。
- オバ
- まったく! いつまでも若いつもりでいるから、こないなことになるねん、もー。
- ジイ
- あはははー。さちこーー、君はいつまでも、若くてきれいやで。
- オバ
- どこ見ていうてんの!
- ジイ
- まぶたの裏や。
- オバ
- もー!
- ゆき
- 毎週、火曜、木曜とやってくる武田のおじちゃんとおばちゃんは、
うちの憧れの二人です。いっつもぴったりと寄り添って、別れるとしたら、
女湯と男湯の、のれんをくぐる時くらい。憧れです。
- オバジイ
- 何が。
- ゆき
- 仲良くて、ええなーって思って。
- オバ
- いったいどないしたん。急にそんなこと言うて。
- ゆき
- なんでやろ。
- ジイ
- それは、あれや。クリスマスやからや。
- ゆき
- え?
- ジイ
- なんせ今日はクリスマスやからやな。
さすがのゆきちゃんも、センチメンタルになるんやろ。
- ゆき
- クリスマス。そっか、うち、すっかり忘れてた。
- ガラガラ・・・
- まちこ
- ふーさっぱり。女湯はもう誰もおらへんで。
- ゆき
- はあい。
- ジイ
- 男湯も誰もおらん!
- ゆき
- はあい。
- まちこ
- げげ、その声は武田のおじちゃん。
- ジイ
- その声は、まちこか! がははは。今日はデートちゃうんか。
- まちこ
- デートですー。
- ジイ
- そらええなあ。さちこ、わしらもデートしよか。
- オバ
- へ?
- ジイ
- 今亮治の屋台が近くにきとるみたいやから、ラーメンデートや。
- まちこ
- クリスマスにラーメンデート!
- ジイ
- 学生気分でええやろ。
- オバ
- ふふふ、そらええですね。
- ジイ
- よっしゃ決まりや。
- ゆき
- うち、のれん降ろしてくる!
- ジイまちこ
- はあい。
- カンカンとつっかけが夜道に鳴る。
遠くから街の騒音が聞こえてくる。
遠くの道を車が通り、近くの家の犬が吠える。
- ゆき
- ハァ。さむ。湿気で暖かいお風呂やの番台にたってると、
体中がポカポカと温くって、
こうやって表にでる時に、冬の寒さを思い知ります。
今宵は、月が磨かれたようにきれいです。
- 亮治
- ゆき。
- ゆき
- 亮治兄。
- 亮治
- もう終わりか。
- ゆき
- うん。
- 亮治
- そうか。俺んとこも店じまいして、そろそろ新橋のほうに行くところや。
- ゆき
- まって!
- 亮治
- もういかんと。
- ゆき
- あんな。あんな亮治兄!
- 亮治
- ゆき、俺な。
- ゆき
- もうじき! 武田のおじちゃんとおばちゃんが来るねんて。ラーメン食べに。
- 亮治
- そうか、そりゃ、またんとあかん。
- ゆき
- うん。待っててあげて。・・・あんな、亮治兄。結婚おめでとう。おめでとうな!
- 亮治
- ありがとう。
- ゆき
- それだけ、言いたかってん。
・・・冷たい夜の風に、外したのれんがはためいて、とっても重たい。
うちは今、とってもセンチメンタルです。
- がやがやと、武田夫妻とまちこが出てくる。
- 三人
- ゆきちゃん! また来るなー。
- ゆき
- まいどおおきに!
- ジイ
- 亮治! ラーメン3杯や!
- まちこ
- うちのはいらんって。今からデートやから!
- ジイ
- がははは。腹が減ってはデートもできぬ!
- オバ
- ちょっとあんたもー!
- 亮治
- そう言わずに、まちこさんも食べていったらどうです・・・。
- 雑音が遠のいていく。
- ゆき
- 閉店後、だあれもいないお風呂やで、ぜーんぶ、ぜーんぶ服ぬいで、
一人っきりで大きい湯船に浸かります。
- お湯のザバーと溢れる音。
- ゆき
- ハァ・・・。ずっと、ずっと、前から、うちは亮治兄が好きでした。
いつかお嫁さんになるって思ってました。
いま、長い長い片思いのトンネルから、じゃぼおんと、落っこちて、
一人っきりで漂ううちは、まるで、お風呂ん中のオフィーリア。
悲しい歌を口ずさみ、恋心もろとも、この身をゆっくり沈めてゆくんです。
ラーラーラー。あぁ、よう響く。・・・失恋ソングは、付きひんなあ。
- 男1
- あのー!!
- ゆき
- !!
- 男1
- あのーーーー、すみません!
- ゆき
- 男湯のほうから聞こえてくる! ・・・もう誰もおらへんはずじゃ・・・
- 男1
- おじさんに、おじさんに嘘ついてもらいました!
- ゆき
- おじさん?? おじさんて、まさか武田の!!
- 男1
- はい、武田の! !すみません! どうしても、どうしても! 今夜、ゆきさんに、話かけたくて。
- ゆき
- その声。。。秋山さん? 郵便局の。
- 男1
- はい ! 秋山です! すみません!
- ゆき
- こっちこそすみません! 大きい声で歌ってしもて!
- 男1
- いえ! 上手です! すごい、上手です! !・・・あのーーーー! 失恋、なさったんですか。
- ゆき
- えっ
- 男1
- さっき、お風呂ん中のオフィーリアって。
- ゆき
- ひゃーー聞こえてる! どこまで口にしてたん!うちのアホアホ!
- 男1
- よかったです!
- ゆき
- へ?
- 男1
- あやうく、僕も失恋するところでした!
- ゆき
- え?
- 男1
- 僕のばあちゃんが言ってました。誰かの失恋は、誰かの恋の始まりやて。
- ゆき
- え?
- 男1
- 僕にもチャンスがある、そうゆうことかと!
- ゆき
- チャンス?
- 男1
- はい! 僕、僕! ゆきさんのことが!
- ゆき
- ・・・ないっ。ないです! こっちはまだこの失恋に浸かってたいんです!
- 男1
- いつまで?
- ゆき
- いつまでも!
- 男1
- 僕、待ってます!
- ゆき
- 困ります! うちは、うちは、失恋中なんですー!
- 男1
- いったい、いつまで!
- ゆき
- いつまでもです!! だって、だって・・・めっちゃ、好きやったんやもん・・・!
- ゆきは初めてここで泣く。
- ゆき
- 好きやったやもん・・・
- 男1
- ・・・・。(大声で)ゆきさーん!
- ゆき
- ええ?
- 男1
- 大丈夫ですかー! 生きてますかーーー!? のぼせて倒れてませんかー!
- ゆき
- そんな大声で・・・!
- 男1
- ゆきさーーーん!
- ゆき
- だいじょうぶですー! のぼせてませんーーー!生きてますー!
- 男1
- よかった! 生きてる! あのーー!
じっくり、じっくり、あったまってからでええですから、
上がってきて、僕と一緒に、フルーツ牛乳のむところから、どうでしょう!
- ゆき
- え・・・
- 男1
- 僕、あなたが、好きなんです。好きなんですー!
- ゆき
- ・・・・そんな、さけばんでも・・・。さけばんでも・・・
- 男1
- 好きなんですー!!
- 外。犬の鳴き声。
遠くから男1の声 好きなんですー!
- ジイ
- お!
- オバ
- あら。
- ジイ
- 聞こえたか。
- オバ
- ええ。よう響いて。
- ジイ
- ははは。幸せになりやー、ゆきちゃん。あいつはええ奴やで。
ズズズズ(ラーメン食べる)。
ぷはー。亮治、おいしいわ。麺のこしがまたええ。
- 亮治
- おおきに。
- オバ
- あんたも昔、ああやって、よう叫んでくれてたわねぇ。
- ジイ
- ははは。今でも叫んどんで。心の中で。
- オバ
- ちゃあんと聞こえてます。
- ジイ
- そらー。何よりや。
ジイ
- オバ
- ごちそうさんでした!
- 亮治
- おおきに!
- ジイ
- よっしゃ。帰ろ。湯上りにラーメン。格別やな。
- オバ
- ほんまに。
- ジイ
- メリークリスマス!
オバと
- 亮治
- メリークリスマス!
- ジイ
- 幸せになるんやで。
- おしまい。