- ――男二人(A、B)。寒空の下。
- A
- しかし、寒いね
- B
- 寒いね
- A
- こんなに寒いと嫌だね
- B
- 嫌になるほど寒いね
- A
- どうにかならんものかなあ
- B
- 寒さはどうにもならんな
- A
- そうか。どうにもならんか
- B
- せめて日光さえあればなあ。暖かいのになあ
- A
- いや、ちょっと待ってくれ
- B
- なんだよ
- A
- 寒い寒いと思っているけれど、本当に寒いのだろうか
- B
- なにを言っているんだ。本当に寒いから、寒い寒いと思うのだろう
- A
- いや、本当は寒くないのではないか
- B
- どういうことだ
- A
- 寒い寒いと思っているから寒く感じるけれど、暖かい暖かいと思っていれば暖かく
感じてくるんじゃないか
- B
- 馬鹿げたことを言う
- A
- 暖かいものをイメージしてみろ。そうしたら、この寒さも少しは和らぐだろう
- B
- 嫌だね。馬鹿馬鹿しい
- A
- いいじゃないか。時間だったら、いくらでもあるのだから。確かに暖かいものをイメージして
みたところで寒さは和らがないかもしれない。でも、少なくとも頭を使えば気は紛れる。
そうだろう
- B
- このままなにもしないで寒さに震えていても仕方がないからな。よし、気を紛らわそう。
どうすればいいか
- A
- お互い順番に暖かそうなものを言っていくんだ。ただそれだけで暖かくなるはずだ。いいかい
- B
- わかった
- A
- じゃあ、俺からだ。湯気の立った風呂
- B
- 燃え盛る炎
- A
- ぐつぐつと煮えたぎる鍋
- B
- ギラギラとまぶしい太陽
- A
- 畳に敷かれた羽毛布団
- B
- 赤茶けた荒野
- A
- それ、暖かいか
- B
- 暖かいどころか、暑いくらいだよ
- A
- そうか?
- B
- お前の番だぞ
- A
- いや、納得いかないな。赤茶けた荒野なんて、暖かいというより寂しいじゃないか。
見渡す限り荒野しかない。寂しいところだ。暖かいわけがない。寂しいんだから
- B
- おい。お前の番だぞ
- A
- お前の負けだ
- B
- いや、俺は負けてない。お前の番だ。早く暖かそうなものを言え
- A
- 雪の降る静かな夜
- B
- おい
- A
- どこまでも続く白銀の世界
- B
- おい
- A
- 凍てつく大地
- B
- おい
- A
- なんだ
- B
- 真面目にやれよ
- A
- なんだよ
- B
- 雪の降る夜、どこまでも続く白銀の世界、凍てつく大地。どこに暖かいイメージがある
- A
- あるだろ
- B
- ない
- A
- ないか。ないな。しかし、赤茶けた荒野にもない。暖かそうなものを言えなかったのは
お互い様だ
- B
- 寒くなってきた。暖かそうなものを言っていたときは暖かったのに。お前のせいだぞ。
お前が寒く冷たそうなものを言うからだ
- A
- 寒いな
- B
- 寒いよ。自業自得だよ
- A
- 寒いな
- B
- 寒いよ
- A
- 寂しいな
- B
- 寂しいのか
- A
- ああ、寂しい
- B
- 寂しさにとりつかれてしまっては厄介だ。どうにかならないか
- A
- どうにもならんな
- B
- 寂しくなるなよ
- A
- 無理だな
- B
- どうすれば寂しくなくなる
- A
- どうにもならない
- B
- そうか
- ――女(1)、通りかかる。
- 1
- なにをしとるの、こんな寒空の下で
- B
- こいつが寂しがっているんだよ。なあ
- A
- ああ、寂しい
- 1
- 寒いからな
- B
- 寒いからか
- 1
- 寒いからな。寂しくなるのもむべなるかな
- A
- お、俺は今、寂しいんだ。心許ないんだ。助けてくれないか
- 1
- あはは、私が
- A
- ああ
- B
- 助けてやってくれないか
- 1
- いいけど、どうすればいいかな。どうすれば寂しくなくなる?
- A
- 抱きしめてほしい。抱きしめてくれ
- B
- おい。それは望みすぎだ
- A
- 望みすぎかどうかはお前が決めることじゃない。どうかな
- 1
- いいけど別に
- A
- ほらな
- B
- それだったら俺だって
- A
- なんだ
- B
- それだったら、俺だって抱きしめて欲しい
- A
- お前は寂しくないだろう
- B
- 俺は、俺はたった今寂しくなった。いいかな、俺も抱きしめてもらっても
- 1
- いいけど、別に。でも、二人とも抱きしめるっていうのは嫌だな
- A
- どっちかだけか
- B
- じゃあ、一人は抱きしめてもらえて、一人は抱きしめてもらえないのか
- 1
- うん。私にもプライドがあるからね。じゃあ、私が今からクイズを出すから、
先に答えてくれた方を抱きしめてあげる
- A
- わかった
- B
- わかった
- 1
- じゃあ、クイズです。これはなんでしょう。鉄粉、水、木粉、活性炭、バーミュライト、食塩
- B
- なんだろう
- A
- わかった。使い捨てカイロだ
- 1
- 正解。よくわかったね
- A
- だって、手に持っているものはなんだい
- 1
- これ? これは使い捨てカイロ
- A
- 使い捨てカイロの成分表を読んでたから。わかるよ
- 1
- そっか。じゃあ、正解したから、約束通り抱きしめてあげよう
- A
- すまんな、お前
- B
- 抱きしめてほしかったけど、仕方がない
- 1
- じゃあ、抱きしめてあげるね。ぎゅー
- A
- あれ
- 1
- どうしたの
- A
- 抱きしめられている気がしないな
- 1
- あれ、おかしいな。抱きしめてるのにな。ぎゅー
- A
- 駄目だよ、言葉だけでぎゅーって言ったって。それでは抱きしめてくれたことにはならないよ
- 1
- ぎゅー
- A
- いやいや、言葉だけじゃ駄目だって。本当に抱きしめて
- 1
- ほんまには嫌じゃ。へへへ、逃げろー
- ――1、いなくなる。
- B
- 行っちゃったね
- A
- 行っちゃった
- B
- 寒いね
- A
- 寒いね
- B
- 寂しいね
- A
- 寂しいね
- B
- 抱きしめてほしかったね
- A
- そうか
- B
- 俺はどうしても抱きしめてほしかった
- A
- 俺もだ
- B
- カイロ、暖かそうだったね
- A
- そうだね
- B
- カイロをイメージしただけで暖かいや
- A
- そうかな
- B
- カイロ暖かいな、カイロ暖かいなって思ってたら暖かくなるよ
- A
- なるかよ
- B
- 寒いかい
- A
- 寒いね
- B
- クイズでもして気を紛らわすか
- A
- そうしよう。どんなクイズだ
- B
- 首都当てクイズは
- A
- いいね。じゃあ、日本
- B
- 東京。じゃあ、イギリス
- A
- ロンドン。じゃあ、フランス
- B
- パリ。じゃあ、アメリカ
- A
- ニューヨーク
- B
- ブー。正解はワシントンD.C.でした
- A
- そうか。よく知ってるな
- B
- 勉強してるからな
- A
- なるほどなあ。えっと、じゃあ、中国
- B
- 北京
- A
- おー、正解
- B
- じゃあ、ブラジル
- A
- リオデジャネイロ
- B
- ブー
- A
- え、リオデジャネイロじゃないの
- B
- 正解はブラジリアでした
- A
- へえ、そうなんだ。じゃあ、これは難しいよ。エジプト
- B
- カイロ
- A
- 正解。エジプトの首都はカイロでした
- B
- カイロ。使い捨てカイロ。カイロ。ギラギラとまぶしい太陽、赤茶けた大地。
カイロ、エジプトの首都
- B『
- 俺は、エジプトの首都をカイロと答えた。すると、今まで行ったことがない、勉強した本の中で
しか知らないカイロの街の景色のイメージが頭の中に広がった。俺は赤茶けた荒野の中を
立ちすくんでいる。俺はカイロにいた。さっきまで寒くて凍えていたのに、今では灼熱の、
ギラギラとまぶしい太陽にさらされている。熱波が襲う。暑い。肌が焼ける。喉が渇く。
見渡す限りの荒野。俺は寂しくなってしまう。あまりの寂しさに自然と荒野を歩き出す。
オアシスを求めて歩く。
歩き続けているとオアシスを見つけた。オアシスを中心に街が広がる。オアシスタウン。
迷路のような街の中にバザール。バザールは賑やかで、寂しい俺は吸い込まれるように中に入る』
- ――女(2)がいる。
- 2
- ようこそバザールへ。あなたのことを待っている人がいます。着いてきてください
- B
- 『バザールの街角、色鮮やかな果実を売っている店の前にいた女が俺をいざなう。
女は人で込み合うバザールを縫うように歩く。俺は女を見失わないよう必死だ。
やっと女が振り返る』
- 2
- 着いてこられていますか?
- B
- ええ。なんとか。でも、もう少しで見失いそうでした
- 2
- すみません。あなたと引き合わせたくて、気持ちが先走ってしまいました。
あなたに合わせてゆっくり歩くことにします
- B
- ところで俺を待っている人というのは一体誰です?
- 2
- 心当たりはありませんか?
- B
- ないですね
- 2
- そうですか。あなたが大好きな人ですよ。楽しみにしておいてください
- B
- 『女はそう言うとまたバザールの人混みをかきわけていく。女のようにスムーズに歩けない俺は、
また女を見失いそうになるが不思議と見失うことはなかった。俺に合わせてくれていたのかも
しれない。人気がなくなったバザールの奥、見覚えのある小さな小屋の前で女が立ち止まる』
- 2
- 着きました。この中にあなたのことを待っている人がいます。どうぞ、お入りください
- B
- 『太陽がかげり、また肌寒くなってきた。おかしい。ここは荒野の街じゃないのか。
吹きすさぶ風。冷たい風が肌を刺す。急いで小屋の中に入る。小屋の中には、どうしても
抱きしめてほしいと望んだ女がいた』
- 1
- わざわざこんなところまで
- B
- ここはエジプトのカイロ?
- 1
- 違うよ
- B
- そうか。通りで寒いはずだ
- 1
- 寒い? 暑くない?
- B
- 抱きしめてほしい。寂しいから
- 1
- 暑いのに
- B
- でも、本当は寒いから
- 1
- 本当は寒いね
- B
- 抱きしめて
- 1
- 本当は寂しくないんでしょう
- B
- 本当に寂しいよ
- 1
- じゃあ、抱きしめてあげよう。ぎゅー
- B
- 言葉だけじゃ嫌だ。寒いから。本当に抱きしめて
- 1
- ぎゅー。どう?
- B
- 寂しくない
- 1
- 暑くない?
- B
- 暑くないよ
- 1
- 寒くない?
- B
- 寒くなくなった
- 1
- そうか。よかったね
- ――終わりです。