- 地元の駅
構内の喧騒
- 発車の合図
ドアが閉まる
電車が発車する
- 娘N
- 今年の秋のことです。仕事帰り。
地元の駅に着くと、ホームのベンチに座る父の背中が見えました。
誰かと話をしていました。私は、気付かれないように、
そっと後ろのベンチに座り、話を盗み聞きしました。
ほんの興味本位だったんですけど、それが、大変なことになってしまったんです
- 向かいのホームを電車が通過する
ホームのベンチに座って語る父と友人
- 友
- おまえ、全然変ってないな
- 父
- おまえも変ってないな
- 友
- それでも、63か?
- 父
- おまえこそ、63じゃないだろ
- 友
- 小説家はな、年を取らないんだよ
- 父
- サラリーマンだって…同じだよ
- 友
- そうか
- 父
- そうだよ
- 友
- お互い、幸せってことか
- 父
- …そうだな
- 友
- 覚えてる? ココで話したこと。このベンチ。座る位置も全く同じで
- 父
- あの時、俺はこう言ったんだよな。結婚して家庭を築くのが一番の幸せだって
- 友
- 俺はこう言ったんだよ。一寸先は闇でも夢を実現させるのが一番の幸せだって
- 父
- 40年、忘れなかったよ
- 友
- その夢が、叶ってるってすごくない?
- 父
- 素晴らしいと思う
- 友
- だよな
- 父
- だけど…
- 友
- だけど?
- 父
- だけど…
- 友
- 小説家を目指していたらどうなっていたのか
- 父
- それは、正直思うんだよ
- 友
- それは、お互いさまだよ
- 父
- 大変だった?
- 友
- 大変だったよ
- 父
- そうか
- 友
- 好きなことを仕事にするのって、思ったより、辛かった
- 父
- 好きなことする時間がないのは、思った通り、辛かった
- 友
- そうか
- 父
- うん
- 友
- 最近は?
- 父
- ん?
- 友
- どうしてんの。退職してから
- 父
- うーん…家でボーっとしてるかな
- 友
- そうなんだ
- 父
- うん
- 友
- …夫婦水入らずでいいじゃない
- 父
- まあ、娘もいるけど
- 友
- ああ、娘さん。一人だっけ
- 父
- うん、一人娘
- 友
- 今何歳?
- 父
- 29
- 友
- 結婚は?
- 父
- まだ
- 友
- そうか。まあ、焦ることはないよ
- 父
- いや、俺は別に焦ってないけど
- 友
- 娘さん、焦ってんじゃない?
- 父
- いや、それがさ、分かんないんだよ
- 友
- 分かんない?
- 父
- 最近、何かに悩んでる感じがするんだけど、何に悩んでるかが分かんないんだよ
- 友
- まあ、29だったら、恋も仕事も色々悩む時期だからなあ。話は? しないの?
- 父
- するけど、悩みは言ってくれないなあ
- 友
- じゃあ、悩んでないのか
- 父
- いや、絶対何か悩んでる
- 友
- それは分かるんだ
- 父
- 分かる
- 友
- 何で?
- 父
- 雰囲気
- 友
- 雰囲気?
- 父
- 雰囲気で分かるんだよ
- 友
- そういうもん?
- 父
- そういうもんだよ
- 友
- 俺、子どもいないから
- 父
- 29年一緒にいると、悩んでるかどうかは分かるんだよ
- 友
- でも、何に悩んでるかは分からない
- 父
- そうなんだよ(と、苦笑)
- 友
- 俺が聞き出してあげようか?
- 父
- え?
- 友
- 小説家としての力を見せてあげようか?
- 父
- 小説家、そんな力ないよね
- 友
- おいおいおいおいおいおい
- 父
- 何だよ
- 友
- 小説家はな、哲学者でも心理学者でもあるんだぞ?
- 父
- どういう意味?
- 友
- 常に読者の立場になって書いてんだぞ? 相手の気持ちを察するのが上手いんだぞ?娘の悩みなんて一発で解決しちゃうぞ?
- 父
- ホントかよ
- 友
- 俺が今までどれだけの文章を生み出して来たと思ってるんだ?
- 父
- じゃあ、今度、ご飯食べに来る?
- 友
- おお、行く行く
- 父
- 一緒にご飯食べながら話そうよ。来週はどう?
- 父
- 何で?
- 友
- 口聞いてくれないかもしれないよね
- 父
- あの、反抗期の娘じゃないから。一応、29だから
- 友
- あ、そうか
- 父
- でも、知らない人の前で、悩みを打ち明けるかどうかは、微妙だな
- 友
- それは大丈夫だよ。知らない人の前だから、打ち明けることが出来るんだよ
- 父
- そういうもん?
- 友
- そういうもんだよ。まあ、打ち明けなくても、色んな話をしてるうちに、
悩みの種なんて引き出せるから。まあ、ちょっと、作戦は立てなくちゃいけないけど
- 父
- 作戦か
- 友
- どうしよ
- 父
- 久々に飲みに行く?
- 友
- 行くか。アノ居酒屋
- 父
- まだあるかな
- 友
- え?
- 父
- 駅前も随分変わったから
- 友
- 変わったよなあ
- 電車が通過する
- 娘N
- 大変なこと。そう、それは、私が話を聞いてしまったのです。
それから一週間後、父の友人はやって来ました。
どういうわけか、変装しておられました。サンタクロースに。
しかも、声を変えて。あれほど、息の詰まる食卓は初めてでした
- 食卓を囲む父・友・母・娘
テレビでは野球中継が流れている
(友人、声を変えて、サンタを演じている)
(一同、時々口に物が入りながら話すイメージ)
- 母
- 遠慮せずに食べて下さいね
- 友
- ええ、いただいております
- 父
- この方はね、国際サンタクロース協会公認のサンタさんで、
日本人では、パラダイス山元さんに続いて二人目なんだ
- 友
- 最近、試験に受かりまして
- 母
- へえ、そうなんですかあ
- 娘
- お名前はなんとお呼びすれば
- 友
- はい?
- 娘
- お名前
- 友
- あ、名前は何でもいいですよ
- 娘
- え?
- 友
- すみません、お醤油取っていただけますか
- 母
- ああ、ごめんなさい
- 父
- サンタクロースに名前なんてないよ
- 娘
- パラダイス山元さん
- 父
- ああ、そういう名前?
- 娘
- なんとお呼びすれば
- 友
- お醤油ありがとうございます
- 母
- そちらに置いといてもらっていいですよ
- 友
- ああ、恐縮です
- 父
- サプライズ金本
- 娘
- え?
- 父
- サプライズ、金本さん
- 娘
- サプライズ?
- 父
- うん。金本さん
- 娘
- サプライズ金本?
- 友
- サプライズ金本ですけど? 何か?
- 父
- ほら、クリスマスプレゼントって、言ってしまえば、サプライズだから
- 友
- そこから名付けましたけど? 何か?
- 父、テレビのチャンネルを変える
クラシック音楽番組が流れる
- 娘N
- 父がチャンネルを変えました。アレほど野球好きな父がクラシック番組に。
あ、金本は阪神の金本か。だから、変えたのか。それにしても、作戦の詰めが甘いです
- 母
- あの、サプライズさん
- 友
- (味噌汁をすする)
- 母
- サプライズさん
- 友
- あっ、はい?
- 母
- サンタクロース小話みたいなのってあるんですか
- 友
- ありますけど?
- 母
- 聞かせていただけます?
- 友
- もちろん
- 娘N
- 母が話を変えました。母もグルです
- 友
- サンタクロースの白い袋、ありますよね
- 母
- プレゼントの
- 友
- アレには何が詰まっているかご存知?
- 母
- プレゼントじゃないんですか?
- 友
- アレには哀しみが詰まっているんです
- 母
- 哀しみ?
- 友
- 哀しみを多く知る人は、たくさんのプレゼントを与えることが出来る
- 友
- いいサンタクロースほど、たくさんの悩みや苦しみ、哀しみを白い袋に隠しているもんなんです。
だからこそ、子供にプレゼントをあげることが出来るんです
- 父
- プレゼントは形だけじゃないってことか
- 母
- いいお父さんになる人って、そういう人なんですね
- 友
- そういうことなんです
- 娘N
- 金本が声を変えました。というか、途中で諦めました。
作戦は早くも終焉を迎えています。
私のためにやってくれるのは嬉しいけど、正直、いたたまれないので、
こちらから悪戯を開始しました
- 娘
- サプライズさん
- 友
- はい?
- 娘
- 声、変わりましたね
- 友
- あ、そうですか? たぶん風邪が治ったんじゃないですか
- 娘
- 風邪だったんですか
- 友
- ええ、でも、今、ご飯食べたから。元気になっちゃった
- 父
- それは良かった
- 娘
- さっきから、ヒゲも一緒に食べてますよね。ご飯と一緒にヒゲが口の中に
- 父
- おい、何を言ってるんだ
- 母
- サンタさんに失礼なこと言わないの
- 娘
- だって、ご飯と一緒にヒゲが口に入ってるから
- 友
- 知っています
- 母
- 知っていらっしゃいます。サンタさんはみんなそう
- 娘
- そうなんですか?
- 友
- そうですよ? 口に入らない方がおかしいでしょ。こんな長いんだもん
- 父
- サンタクロースにも悩みがあるんですねえ
- 友
- ありますよォ。いっぱいありますよ。まず、ヒゲでしょ? 口に入るっていう。
コレ一番のやつ。ね。あと、最近は、サンタの世界でも心の病が流行って来て、
トナカイ見るだけで吐き気するヤツも出て来てますから。
お嬢さん、そういう感じのことない?
- 娘
- ないです
- 母
- 今年のクリスマス、一番不幸な人って、
キリストのフレスコ画を修正したおばあさんよね。
サルみたいになった状態でクリスマス迎えるって、相当キツくない?
- 娘
- え、何の話!?
- 母
- あの人に比べたら、みんな幸せって話
- 娘
- お母さん、もういいよ。お父さんも
- 父
- もういいって、何が
- 娘
- 私のために作戦考えてくれてありがと
- 父
- 作戦…!?
- 娘
- 駅のホームで全部聞いたから
- 父
- えっ!?
- 娘
- 二人で話してたの聞いたから
- 父
- 居酒屋にも来たのか!?
- 娘
- 居酒屋には行ってない
- 友
- あの、ヒゲ外してもいいでしょうか
- 母
- お父さんはね、小説家になりたかったの。今日の作戦はね、お父さんの考えた物語。セリフも構成も、全部お父さんが考えたの
- 娘
- センスないよ。リアリティないし、詰めが甘いし。おかしいよ
- 母
- そういうこと言わないの
- 娘
- お父さんは立派に家族を支えて来てくれたんだから、それでいいじゃん。
小説家じゃない普通のサラリーマンのお父さんで、私は幸せだったよ
- 父
- ごめんな。ありがと
- 母
- どうぞ、ヒゲ、外して下さい。主人の無茶ぶりに付き合わせて、すみませんでした
- 友
- いや、今の、娘さんの言葉を聞けただけで、ヒゲを食べた価値がありますよ。
最高のキャスティング。最高のセリフ。こんな幸せな小説家はいないよ
- 父
- センスないって言われちゃったよ
- 友
- 嬉しそうな顔して
- 父
- 始まっちゃったよ
- 娘N
- 失敗したから始まってしまったと、父は何度も嬉しそうに言いました。
退職してからずっとボーっと暮らしていたお父さん。
これで、第2の人生を謳歌してくれたら、私は満足です。
これでやっと、私の悩みが晴れたのです
- 娘の優しさが、父の心にいつまでも鳴り響いた―
- 終