- シーン(1) ほしいもの
- N
- 森の中に湖があった。冬、クリスマスが近づくと北の山を越えて冷たい風がふく。
そんな日はみるみる気温がさがって、森に住む生き物はいっせいにクシャミをした。
- 斧で木を切り倒していた男がクシャミをする。
- 男
- ヘックショイ!うー、寒い。
♪イブの湖 のぞいちゃいかん
イブの湖 のぞいたならば
自分で自分に恋をする
- 男のそばに女の姿。
- 女
- どういう意味?
- 男
- わぁ!なんだ?いつからいた?
- 女
- さっきから、
- 男
- どこから来た?名前は?
- 女
- いいでしょ名前なんか。それよりさっきの唄。どういう意味なの?
- 男
- 何が?
- 女
- 唄ってたでしょ、湖がどうとか。
- 男
- あぁ、別に意味なんてねーよ。ただの唄だもん。
- 女
- やっぱりあるんでしょ?
- キコリ
- 何が?
- 女
- 「イブの湖」
- N
- 森の中の湖はイブの湖と呼ばれていた。
寒くなると湖は一面に氷がはり、まるで湖面全体が大きな鏡のようになる。
- 女
- どこにあるの?教えてよ、イブの湖。
- 男
- かえんな。
- 女
- え?
- 男
- あんなの伝説だ。そんな湖どこにもありゃしね。
- 女
- 知ってるの?
- 男
- さぁかえんなよ。もう寒いし。風邪ひいちまうぞ。
- 女
- 教えて、どうしても行きたいの!
- N
- 男は黙って指をさした。森の奥の奥。女は湖に向かって歩き始めた。三時間ほどあるくと辺りは真っ暗になった。つかれきった女は、そこに毛布を広げ、眠ってしまう。痛いほどの寒さが女の体を襲う。
- 奇妙な鳥の声
- オネーチャ!オネーチャ!
- N
- 奇妙な鳥の鳴き声が響く。まるで女が眠るのを妨げるように鳴きつづける。その夜、女はいつもの夢を見た。現実と同じように寒くて淋しい夢だ。
- N
- やがて朝がきた。明るくなって初めて女は自分が湖のすぐそばまで来ていたことに気がつく。湖面は凍りつき鏡のように輝いていた。
- 女
- ここが、イブの湖…
- N
- 女は湖を覗き込んだ。
- 女の思い出の光景。
メリーゴーランドにのる幼い女。
まだ若い父と母。
家族は楽しそう。
- N
- 湖に映っていたのは、女の美しい思い出。もう手が届かない消えてしまった過去。
しばらくして女は湖のほとりに倒れこんだ。
- 暖炉のはぜる音。
寝ていた女が起き上がる。
- 男
- 寝てろ。風邪だ。
- 女
- ここは?
- 男
- おれの家だ。
- 女
- ありがとう。
- 男
- 見たか?
- 女
- うん。
- 男
- そうか。
- 女
- やっぱりほんとだったんだね、イブの湖、ほんとにほんとに素敵だった。
- 男
- もう帰れよ。
- 女
- どうして?
- N
- 湖には言い伝えがあった。昔、イブという美しい娘がいた。イブは温かい家族に囲まれて育ち、優しい恋人に愛された。ところが戦争がおきてイブから何もかも奪ってしまう。寒い冬、森の中の湖にやってきたイブは、凍りついた湖面に映る自分の顔を見て、神様に頼んだ。「あぁどうかこの湖に映る姿だけは、幸せな私でありますように」。
その願いは神様に通じて、それから、この湖を覗けば幸せな自分の姿が見えるという。
- 男
- あんなのはまやかしだ。ほんとのことじゃねぇ。
- 女
- …。
- 男
- な、帰れ。
- 奇妙な鳥の声
- オネーチャ!オネーチャ!
- 女
- あれは?
- 男
- あれって?
- 女
- あの泣き声、なに?
- 男
- 何って、鳥だよ。
- N
- それから数日、男は必死になって女を看病した。風邪を治した女は毛布をかぶって再び湖へとやってきた。冷たい風に吹かれながら女はいつまでも湖を覗いていた。
- 男
- …、また風邪ひくぞ。
- 女
- …、私幸せだったのよ。そう、幸せだった。
- 男
- もうじき暗くなる。
- 女
- アナタには何が見えるの?
- 男
- は?
- 女
- この湖、アナタには何が見えるの?
- 男
- …、別に俺とお前が映ってるだけだ。
- N
- それから毎日毎日、冬の間ずっと、女は湖のほとりにやってきては眺めていた。幸せな自分の姿を。やがて春が来て、女は町に帰っていったが、冬がくるとまた森にやってきた。男は女が湖を眺めている間。焚き火をたいて待っていた。時に焚き火で暖めたシチューをのみながら、女はいつまでも湖に見惚れていた。
- 女
- 私は赤い靴を買ってもらったの。13歳のクリスマスイブの前の日だった。父と母と妹と家族四人で百貨店にいったの。とても嬉しかったわ。最初は青い靴がほしかったのよ。それでも直前になって赤い靴がほしくなってね。さんざん迷って、結局赤い靴を買って貰ったら今度は青い靴が惜しくなって。泣き出してしまったの。妹も母も呆れてね。父だけが私の顔見て言ったわ。本当にほしいものはなにって。その言葉が怖くてね。私が本当にほしいもの、そんなのあるのかしら、そう思いながら生きてきたわ。
- 男
- そうか。
- 女
- 私、幸せだったのよ。
- N
- やがてまた春がくる。女が町にかえる季節だ。
- 女
- 今年も来るからね。
- 男
- うん。
- 女
- さよなら、
- 男
- うん。
- N
- そして冬が来て、春が来る。毎年毎年、男と女は出会っては別れた。
- 女
- 今年も来るからね。
- 男
- うん。
- 女
- さよなら、
- 男
- あのさ、
- 女
- …、
- 男
- ずっとここにいろよ。春も夏も秋も、ずっと一緒にいよう。
- N
- 女はどう答えていいのかわからなかった。わからないまま町に戻ってしまった。それからまた冬がきて、女は森に行かなかった。恋人ができたのだ。女は恋人と結婚し春には二人の家を建てた。それから月日は流れ、子供も産まれ、二人は幸せに暮らした。やがて女も歳をとり、子供たちは町を離れ、夫は女より先に死んでしまった。そしてまた冬がやってきた。
- 女
- ヘックション!
- 冬の森の中、女は歩いてゆく。
- N
- 女は森にやってきた。森の中のイブの湖にやってきた。女はすっかりおばぁちゃんになっていた。木の枝を杖にして女は男が住んでいた小屋に向かう。小屋は荒れ果てていた。もう何年も前に男はここからいなくなったのだ。しばらく迷って、女は湖に向かう。この風の冷たさなら湖には氷が張っているはずだ。
- 女
- (歩く)ヨイショ、ヨイショ。あの人も、あの人も、あの人も、みんな善い人だった。
ヨイショ、ヨイショ、私は、みんなから愛された。
- N
- けれど歩いているうちに、女は怖くなってきた。鏡のような湖面には、自分の一番幸せな姿が映る。私は夫を愛していた。湖面にはきっと夫と私の姿が映るに違いない。
そう思っていたのに、女の胸の中は不安でいっぱいだった。私は間違っていたのだろうか?
- 女は湖のほとりに立つ。
- 女
- さぁ映しだしておくれ。私の一番幸せな姿を。
- 女は湖面を覗き込む。
- 「鏡の世界」
- 男
- …、また風邪ひくぞ。
- 女
- …、
- 男
- もうじき暗くなる。
- 女
- アナタには何が見えるの?
- 男
- は?
- 女
- この湖、アナタには何が見えるの?
- 男
- …、別に俺とお前が映ってるだけだ。
- 「鏡の世界」終わり
- N
- その時、女は手を伸ばす。幸せだったあの頃の自分に。そして女は、
- 奇妙な鳥
- オネーチャ!オネーチャン!
- シーン(2) ほんとうにほしいもの。
- クリスマスソングが流れる街。
百貨店に買い物にきた四人家族。
- 妹
- おねーちゃん、早く選んでよ。
- 女
- うるさいな。
- 母
- どっちがほしいの?
- 女
- どっちも、
- 母
- ダメ、どっちか一つだけ、
- 女
- もーーーー。
- 父
- どうしたまだ決らないのか?
- 母
- 赤い靴と青い靴、決められないんだって、
- 妹
- お父さん、おねーちゃんまだ悩んでるよ。
- 父
- サヤコは決ったのか?
- 妹
- 私はね、決った。(大声で)マフラー。
- 父
- どっちにする?
- 女
- …わかんない。
- 父
- わかんないじゃないだろ。どっちがほしいんだ?
- 女
- …
- 父
- 赤い靴?青い靴か?
- 女
- …
- 父
- お父さんが決めるからな。
- 女
- 嫌だ!
- 父
- じゃどうするんだ?
- 女
- 私は赤い靴と青い靴、並んでいる間くらいに指をさした。すると父は「よし、こっちだな」と言って赤い靴を買ってくれた。店員さんが靴を包んでくれている間、私はショウィンドウに映った二つの靴をじっと見ていた。青い靴がだんだん輝いて見える。
どうして私は赤い靴なんか買ったのだろう。私は父が憎らしく思えた。
- 女
- お父さん。
- 父
- うん?
- 女
- ごめんなさい。
- 父
- 何が?
- 女
- 次のクリスマスにはこんなに迷わないから。私のこと邪魔臭いとか思わないで。次のクリスマスには、私が一番ほしいもの、大声で言えるようになるから。でも、ほんとはね、わたしわかってるから、私がほんとにほしいものは、お金じゃ買えなくて、もう持ってるものだから。だから、わたし大事にするよ、次のクリスマスも、次の次のクリスマスも。
- 四人家族は家路につく。
- おわり