- クリスマスの町
ジングルベルばかり、にぎやかな町、人々ばかりがすれ違う
にぎわうのは、町ばかり
カランカラン、と古いドアベル
- パテシェ
- いらっしゃいませ。
- 優雅に、パテシェが笑顔で迎える
- パテシェ
- いらっしゃいませどのようなケーキをお探しでしょうか?
- 男
- え…ああ、
- パテシェのやたら丁寧な態度に少し男は驚いたが
- 男
- クリスマスケーキを、
- パテシェ
- はい。それはどのような?
- 男
- え?ああ、だからクリスマスケーキで、いいんですけど、なんでも。なんでもいいか。
- パテシェ
- …「いいんですけど」…「なんでも」………
- パテシェはじっと考えて
- 男
- あ、それじゃあそのイチゴの、
- 男が言いかけると、パテシェは奥に引っ込んでしまって
- 男
- え?ちょっと、あの、すいません。
- ガシャガシャガシャ、奥の厨房から音がする
- 男
- あのー…
- ガッシャガッシャ、ガッシャガッシャと
ボウルと泡だて器が激しくぶつかりあう音だけが聞こえてくる
- 男
- あのお、すいません。その、イチゴの生クリームのケーキをひとつ…
- パテシェ
- ああ!?
- 声が聞こえて、さっきの優雅な感じとは打って変わって、
どたどたとパテシェが厨房からやってくる
- 男
- あの、その、イチゴの生クリーム…
- パテシェ
- あ、駄目です。
- 男
- え?
- パテシェ
- 無理です。
- 男
- 無理って、
- パテシェ
- ウリモノにならないくらい甘さが足りなくて、
- 男
- だって、ショーケースに並んでいるじゃないか。
- パテシェ
- だから急いで作り直してるんです。
- と、また奥の厨房へ引っ込んだ
- 男
- じゃあ、並べなきゃいいのに…あの、それじゃ、このチョコレートケーキを、
- パテシェ
- ああ!?
- パテシェはまたどたどたとやってきて
- 男
- そのチョコレートの、
- パテシェ
- 駄目です。
- 男
- え?
- パテシェ
- ほろ苦さが不十分で、そんなの売ったら恥ずかしいですから。
- 男
- それじゃラズベリーのムース…
- パテシェ
- 無理です。甘酸っぱいを通り越してすっぱいだけのラズベリームースで、
- 男
- じゃ、隣のナッツのロールケーキを、
- パテシェ
- 無理です。ナッツの香ばしさが全くしないので。
- 男
- じゃ、そのベイクドクリームチーズ、
- パテシェ
- 無理です。酸味が強すぎてクリームチーズ本来のまろやかさが全くないので、
- 男
- じゃあ、洋ナシのタルトを、
- パテシェ
- 無理です。
- 男
- ここケーキ屋だよね?
- パテシェ
- そうですけど。
- 男
- じゃなんでケーキ売ってくれない?
- パテシェ
- 売れるケーキが今ここにないんですよ。
- 男
- だったら看板クローズにしたらどうだ、まぎらわしい。
- カランカラン、と古いドアベル
- パテシェ
- いらっしゃいませ。
- 一番はじめの優雅なパテシェの声
- パテシェ
- いらっしゃいませ。どのようなケーキをお探しでしょうか?
- 女
- んー…と…
- パテシェ
- ああ、お久しぶりですね。
- 女
- え?覚えてるんですか?
- パテシェ
- ええ、去年もクリスマスにこちらに来てくださったでしょう?
- 女
- ええ、そう。だから今年も
- パテシェ
- ありがとうございます。去年はたしか、キャラメルのアイスケーキでしたね。
- 女
- え!そこまで覚えてるんですか?
- パテシェ
- もちろん。
- 女
- あの…
- パテシェ
- はい。
- 女
- 二人で食べるんですけど、
- パテシェ
- ああ、クリスマスですものね。じゃあ今年もキャラメルの、
- 女
- ああ、違うの。二人で食べるんだけど、今日が最期でね。
- パテシェ
- ああ…
- 女
- でもそのほうがいいだろうって、だから全然、なんていうの、恨みとかそういうのはなくて、うーん、再出発?みたいな?でもお互い別々の船で出発する、みたいな?だからお別れだけど、いってらっしゃい、みたいな。
- パテシェ
- ああ、そうですか。
- 女
- だから、甘すぎるものより、もうちょっと、
- パテシェ
- こちらはいかがでしょう?
- カタン、とパテシェはひとつのケーキを取り出した
- 女
- フルーツケーキ?
- パテシェ
- はい。
- 女
- きれいね。宝石みたい。キラキラしてる。
- パテシェ
- いろんなフルーツが、なんだか今までの思い出みたいで、
色んな味があって、でもね、甘いだけじゃないんです。
ブランデーの香りが強いから、ただ甘いだけじゃありません。
ただ悲しいだけじゃなくて、ただ楽しいだけじゃなくて、色んなものが、ここに。
- 女
- おいしそう。それ、ホールでちょうだい。
- パテシェ
- 大きさは?
- 女
- 一番小さいのでいいわ。
- パテシェ
- はい。少々お待ちくださいませ。
- ガシャガシャチーン、と古いレジスターの音がする
男は、パテシェの手で優雅に包まれていくケーキを眺めながら
- 男
- は…?え、ちょっと…?
- パテシェ
- ドライアイスのお時間のほうはどういたしましょうか?
- 男
- あの、
- 女
- 30分くらいです。
- 男
- おい、
- パテシェ
- かしこまりました。
- 男
- おい、
- 女
- どうもありがと。
- 男
- おい、
- パテシェ
- ありがとうございました。よいクリスマスを。
- カランカランと、古いドアベルが心地よく鳴り響いた
- 男
- おい!
- パテシェ
- なんでしょうか?
- 男
- あるじゃないか、売れるケーキ。
- パテシェ
- はい。ございますが。
- 男
- さっき私には、売れものはないって、
- パテシェ
- はい。あなたに、売れるケーキはございません。という意味です。
- 男
- ああ、そうか。一見は嫌う店なんだな。そうか。
じゃ、看板に一見お断りって書いたらどうだまぎらわしい。
- パテシェ
- 違います!
- 男
- 何が?
- パテシェ
- 看板に書いてありますけど、ご覧になられました!?
- 男
- は?
- パテシェ
- うちはただケーキを売ってるだけじゃないので!
- 男
- ケーキは、ケーキ、だろ…
- パテシェ
- ただのケーキならどこにだって売ってます。うちは、そうじゃないんです。
看板に偽りなしですから!
- カランカランと、古いドアベル
- パテシェ
- 「いつ、どんな時に、どんなところで、誰と、何を思って」
- バン、とパテシェは看板を叩いた
- パテシェ
- これがうちのモットーです!
- 男
- はぁ…
- パテシェ
- 甘いもの食べられりゃいい、それだけじゃただ太っていくだけです。いいですか?
ケーキっていうのは、食べ物の中で、唯一、夢が見られるんです。
だから人は甘いものに引き寄せられるんです。
クリスマスケーキがなんでもいいだなんて、そんな人に食べてほしかありません。
いつ、どこで、誰と、何を思って、あなたは、ケーキを食べようと思ったんですか?
- 男
- そんな、個人的なことまで話さないとケーキ売ってくれないのか?
- パテシェ
- 「個人的なことは詮索いたしません。が、お客様の意志を確認させていただくことがございますのでご了承くださいませ」
- また、パテシェはバン、と看板に書いている注意書きのところを叩いた
- 男
- あ、書いてある…
- パテシェ
- お客さまは、どんなケーキをお探しでしょうか?
- 男
- だから、普通だ。毎年恒例のクリスマスだろ。普通買うだろう、ケーキ。
どこの家でも。
- パテシェ
- 何人で。
- 男
- は?
- パテシェ
- ご家族は何人で?
- 男
- よ、四人だよ。息子と娘が、
- パテシェ
- 安易にイチゴの生クリームで、果たしていいのでしょうか?
- 男
- 無難だろうって、思って。
- パテシェ
- 息子さんと娘さんはおいくつくらいで?
- 男
- もうだいぶ大きいよ。二人とももう二十歳超えたし。
- パテシェ
- なのにクリスマスは家族で?
- 男
- え…ああ、そう。好きにすればいいのに、仲いいからうちは。
- パテシェ
- 素晴らしい。ところで奥様の好き嫌いなどは?
- 男
- そんなの、知らない…いや、バタークリームがキライだったんだ、たしか。
- パテシェ
- そうですか。でしたら、これはいかがでしょう?
- パテシェがお勧めしたのは
- 男
- なんだ、やっぱりイチゴの生クリームか。
- パテシェ
- 無難なんかじゃないんですよ。これは。
- 男
- え?
- パテシェ
- イチゴの生クリームケーキは、永遠の王様なんです。もっともシンプルで、もっともゴージャスなんです。家族で過ごすなら、やっぱりイチゴの生クリームです。
どこのケーキ屋にも負けない、イチゴと生クリームを使用していますから。
はい、やっぱりこれが、ケーキの王様です。お時間は?
- 男
- え?
- パテシェ
- お帰りの所要時間です。
- 男
- 一時間くらいだな。
- パテシェ
- かしこまりました。なんでもいい、は駄目ですよ。
- 男
- え?
- パテシェの手で、イチゴのケーキは包まれていく
- パテシェ
- いつ、どこで、なにを、誰と、食べたいか。それを考えないと。
- 男
- ああ、どうも。
- パテシェ
- ありがとうございました。よいクリスマスを。
- カランカラン、と古いドアベル
男はクリスマスの町を歩く
ジングルベルがうるさいくらいに町に鳴り響いている
男は、歩いていたが、やがて
ぴ、ぽ、ぱ、ぴ、と携帯を取り出した
- 男
- あ、もしもし、お前、バタークリーム嫌いだったよな?え?あ、やっぱり。
いや。別に。あのな、二人の携帯教えてくれないか。ああ、そう。
いや、メールでもいいんだよ。うん、いや、たまにはな、
今日くらいはな、家に帰ってきなさいって言いたくなって。いや、別に何もないよ。ただ、クリスマスだし。うん、ただ、もう、だって、ケーキ買っちゃったから。
嫌がられても、電話してみるよ。
- ジングルベルが鳴り響く
ガシャガシャガシャガシャ
パテシェは一日中、ケーキを作る
そのケーキが誰かの手で、どこかの家に運ばれて
どこに家にも、ケーキがやってくる
ガシャガシャガシャ、ガシャガシャガシャ
ジングルベルにあわせるように、ガシャガシャガシャ
パテシェの腕はとまらないのだ
- おしまい