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- ばさっ。ばさっ。ばさっ。
大きな羽音を立てて、天使の一群が移動している。
階級順に二列縦隊になって、列は延々と続いている。
今日はクリスマス。年に一度の天界の大移動の日である。
- 「右!」「左!」「スキップ!」「ターン!」
「ニ回転して回れ右!」
- かけ声に合わせて機敏に動く天使の群。
- やがて少しずつ、列が乱れはじめ…
びりっ。羽の破れる音…
- 「あっ」
- 最前列の天使がひとり列から離れ、下界へと落ちていく…。
- 天界は競争社会だ。
年に一度、クリスマスの夜に行われる天界の大移動は僕たちの査定を兼ねている。
体力・知力・精神力のどれもが評価の対象になる。
永遠を生きなければならない天使の世界は厳しいのだ。
- 破れた羽を背に墜落していく仲間を、僕らは見送ることしかできない。
地に落ちた彼らは二度と飛ぶことはできない。
彼らがその後どうなったのか、誰にもわからない。
…去年までは、わからなかった。
今年はちょっと事情が違う。
なぜなら、僕が、その彼らだったから……。
- ひゅうーっ、どすん。
地面に墜落する。
…と思ったら、正確にはそこはビルの上。
殺風景なビルの屋上。
真っ暗な中、柵にもたれて女がひとり、空を見ている。
- 天使が落ちてくる。
女、ふと天使を見る。
さほど驚いた風もなく…
- 女
- こんばんは。
- 天使
- あ…。はい。(あわてて居住まいを正し、向き直る)
- 女
- 風、止みましたね。(空を見ている。)
- 天使
- …そう…ですね…
- 女
- ほんとに手回しがいいんですね。
- 天使
- え?
- 女
- 地下には葬儀屋さん、屋上には天使さん。
- 天使
- あの…。
- 女
- それに…!
- 天使
- 葬儀屋?どなたか、亡くなられたんですか?
- 女
- まだです!
- 天使
- …?
- 女
- でも、もう…。
- 天使
- いいんですか?こんなとこにいて…。
- 女
- あたしは、家族じゃないから
- 天使
- …?
- 女
- 彼のご両親とお姉さんが、今お医者様と話してます。
- 天使
- …そうですか。でも、まだ…
- 女
- 脳が死んでしまってるんですって。
- 天使
- ?(よくわからない。天使には医学的知識がないのだった)
- 女
- でも、彼はまだ生きてます。
- 天使
- はい。
- 女
- まだすっかりおしまいなわけじゃないの。
- 天使
- はい。
- 女
- でも、それは、もう死んでしまってるっていうことなんですって。
- 天使
- …?????
- 女
- 今なら、誰かに譲ってあげることができるんですって。
もっと、有意義に使うことができるんですって。
でも、そのためには、今、おしまいにしなくちゃいけないんですって。
- 天使
- はあ。
- 女
- わかります?
- 天使
- …すみません。よく…わかりません。
- 女
- わたしも。
- 間
- 女、手に持っている靴を示して…
- 女
- これ、ね。最後に彼の履いてた靴。お姉さんが譲ってくれたんです。
- 天使
- くつ…
- 女
- ぼっろぼろでしょ。ほんとにじっとしてない人だったから。
- 天使
- ……
- 女
- 泥だらけで…。
- ぱん、ぱん、ぱん、靴の土を払っている。
- 女
- 「遠くへ行きたい」って、すぐ出て行っちゃう人でした。
- 天使
- 遠く?
- 女
- ええ。
- 天使
- ……。
- 女
- どこへ行きたかったんだろ。
- 天使
- ……
- 女
- どんどんどんどん歩いてたのに。途中で、止められちゃって。悔しかっただろうな…。
- 間
- 天使
- もうすぐ、遠くへ行くことができますよ。
- 女
- 彼は天国へ連れていかれるの?
- 天使
- ええ…たぶん…
- 女
- それは、天の上にあるのよね?
- 天使
- ええ。
- 女
- 歩いていくことができないのよね。
- 天使
- できません。
- 女
- 彼はもう。歩いていくことができないのよね。
- 天使
- はい。
- 女
- 遠くまで、歩いて行くことはできないのよね…。
- 間
- 女
- 天使さん、あなたは待っててくれるの?
- 天使
- 何をでしょう?
- 女
- すっかりおしまいになるまで。
- 天使
- あの…。たぶん…勘違いされてるかと思うんで、訂正しますが、あなたの彼を天国へ連れて行くのは僕の役目じゃありません。
- 女
- え?
- 天使
- 別の天使がもうすぐここへ来るんだろうと思います。
- 女
- じゃあ、あなたはここで何をしてるの?
- 天使
- 僕は…もう、天使の仕事をすることができません。
- 女
- どうして?
- 天使
- 飛ぶことが…できなくなっちゃったんです。こんな破れた羽では天へ昇ることができません。
- 女
- あなたも…死ぬの?
- 天使
- いいえ。僕は天使ですから、死ぬことはできません。
- 女
- まあ。じゃあ転職するの?
- 天使
- そういうわけにもいきません。僕らの姿は人間の目には見えないんです。
- 女
- あたしには見えるわよ。
- 天使
- 大切な人を見送ろうとしているひとの目にだけは、一時的に。
- 女
- ………どうするの?これから……
- 天使
- 落ちてきたんです。ここへ。僕はもう飛ぶことも、消えてしまうこともできませんから、これからさきもずっとここにいることになるんだと思います。
- 女
- ここは病院よ。
- 天使
- でも…さっきも言いましたけど、僕はもう飛ぶことができないんです。
- 女
- 歩けばいいじゃない。
- 天使
- あるく?
- 女
- さっきから気になってるんだけど、この寒い中、なんで裸足で立ってるの?靴は?
- 天使
- 天使は歩きません。だから、靴を履かないんです。
- 女
- なんで歩かないの?
- 天使
- 飛ぶんです。翼がありますから。
- 女
- でもあなた飛べないんでしょ。
- 天使
- それは…
- 女
- 歩いたことないの?
- 天使
- ええ。
- 女
- 道を、歩いたことはないの?
- 天使
- ありません。
- 女、しばらく考えている。
やがて、手の中の靴を天使の前に差し出す。
- 女
- 履いて。
- 天使
- え…?
- 女
- 彼はもう歩くことができません。だからその靴はもう要らないの。
- 天使
- …でも、だからあなたに…
- 女
- いいのよ。私は履けないから。
- 天使
- でも…
- 女
- 誰も履かない靴だから。
- おそるおそる靴を履いてみる…
- 天使
- どうでしょうか?
- 女
- うん。思ったより変じゃないわ。服は地味だし帽子は派手だし、どうかと思ったけど…そのファッションは意外と靴を選ばないのね。
- 天使
- …そうですか?
- 女
- ええ。なかなか素敵。なぜか、サイズもちょうどいいし。
- 天使
- 天使にはサイズがありません。
- 女
- 便利ね。
- 天使
- いえ…。
- 女
- ね、これで歩けるでしょ。
- 天使
- 歩く…?
- 女
- ええ。雪の道も。砂利の道も、雑踏の中も…
- 天使
- でも…、何のために?
- 女
- 歩くのに理由がいるの?
- 天使
- 天使が歩いて…どこへ行くんでしょう?
- 女
- どこへでも行けるじゃない。
- 天使
- 天の上へは行けません。
- 女
- いいじゃないの。地面を歩けば。
- 天使
- でも…
- 女
- ずっとここにいると、幽霊だと思われるわよ。
- 天使
- そうでしょうか。
- 女
- 医療事故で無念の死を遂げた患者の霊だと思われるかもしれないわ。
- 天使
- それは困ります。こちらの亡くなった方に迷惑がかかってしまいます。
- 女
- だったら。ここにいるのはまずいわよ。
- 天使はしばらく何か考えている。
- 天使
- 僕は天使ですよ。
- 女
- さっき聞いたから知ってるわ。
- 天使
- 天使にはおしまいがないのです。
- 女
- ………………
- 天使
- 歩き始めてしまったら…
- 女
- ?
- 天使
- あなたの彼のように、どこかで止まるということができません。
- 女
- …………………
- 天使
- どこまでも、どこまでも、永遠に歩き続けることになります。
- 女
- ねえ。
- 天使
- はい?
- 女
- どこまでも永遠に歩き続けば…どこまでも行けるよね。
- 天使
- そういうことになりますね。
- 女
- どこまでも遠くまで、行くことができるよね。
- 天使
- …………………
- 女
- どこまでも…。
- 天使
- 彼はいったい、どこへ行こうとしてたんですか?
- 女
- ……遠くまで。わたしにはそれしかわからない。
- 風が、吹いてくる。
- 女
- どう?具合は?
- 天使
- ちょっと慣れてきました。
- 女
- …………………………行った方がいいわよ。早く。
- 天使
- どうして?
- 女
- ………もうひとり来る前に…あの…おしまいになる前に…。
- 女
- おねがい…。
- 天使
- 天使が階段を下りていく……
女はそれを見送っている…
いつまでも、見送っている……。
- 天使
- もらった靴を履いて、僕は歩いた。
あれからどれだけの時間が過ぎただろう。
僕は歩き続けた。砂の上に、雪の上に、アスファルトの上の足跡を残して。
地球はまるいので、どこまでもどこまでも歩き続けることができた。
地面は大きな円を描いていて、どこまでいっても、おわりがなかった。
僕の姿は陽炎のようにはかなくて、風景の中にまぎれてしまう。
自分で自分の姿を見失いそうになりながら、僕は歩き続けた。
遠くへ向かって、歩き続けた。
いつまでも……………。
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- 右の靴
- ねえ。おじいさん。私ら、ずいぶん、歩いてきましたねえ。
- 左の靴
- ああ。
- 右の靴
- おじいさんとは、いつからいっしょにいるんでしたかねえ?
- 左の靴
- さあ…わからんなあ。
- 右の靴
- ねえ、おじいさん。私ら、どこから歩いて来たんでしょうね。
- 左の靴
- さあ…わかんらんなあ。
- 右の靴
- どこまで歩いて行くんでしょうね?
- 左の靴
- そいつはわかる。捨てられるまでよ。
- 右の靴
- 捨てられたら…そのあとは、やっぱり、てんごくへ、行くんでしょうかね?
- 左の靴
- てんごくへは行かんじゃろ。
- 右の靴
- どうしてですか?
- 左の靴
- てんごくというところは……生きとったものが、死んだときに行くところじゃ。わしらは靴じゃから。靴は生き物やないから、てんごくにはいかんのじゃ。
- 右の靴
- そうですか。
- 左の靴
- 生きとったものにはたましいがあって、てんごくというのは、死んだもののたましいが運ばれていくとこなんじゃ。
- 右の靴
- 焼却場みたいなところですねえ。
- 左の靴
- いや、燃やすんやない。運ばれていったたましいは、いつまでも、いつまでもそこに残る…
- 右の靴
- てんごくはやっぱり天の上にあるんでしょうかね?そんなところへいったいどうやって運ぶんしょうね?
- 左の靴
- それは…その…てんしじゃ。たましいを運ぶのはてんしじゃ。てんしは空を飛べるんからの。
- 右の靴
- ふうん。
- 左の靴
- わしらは、靴じゃから…てんごくやのうて焼却場へ行くんじゃ。
- 右の靴
- 焼却場へ行ったらその後は、どうなるんです?
- 左の靴
- 煙になって消えてしまうんや。
- 右の靴
- 何も残らんのですか?
- 左の靴
- 何も残らん。
- しばらく考えている。
- 右の靴
- おじいさん。
- 左の靴
- なんや?
- 右の靴
- それまでは、いっしょに歩きましょうね。
- 左の靴
- 歩いとるやないか。
- 右の靴
- そうですね。
- 左の靴
- いっしょに、あるいとるやないか。
- 右の靴
- そうですねえ。ずいぶん、長いこと歩いてますねえ。私たち。
- 天使の足音はとても小さくて、
誰にも聞こえることはない。
けれども。
ふと、沈黙の中に遠くから響く足音を聞くかもしれない。
踵を翻し、てくてく歩く天使の姿が一瞬だけ、見えるかもしれない。
「ねえ、今。天使が通った。」
古いつぶれた靴を履いて。天使は歩く。
どこまでも、どこまでも……、
地平線を越えて。どこまでも…。
- おしまい…にはならず、このまま続く