厚手の白い陶磁器の中に、四角い黄金色のバターが入っている。
「刈り入れ前の、田んぼみたいだ。」
私にはうまく想像出来ない。
「山の向こうに、<ススキが原>があるだろ?秋真っ盛りの<ススキが原>みたいでもある。」
私はまだ<ススキが原>へ行ったことがなかった。
それは私の従兄弟で、私より10も年上だった。彼の家(いえ)は、私の家(うち)から歩いて10分のところにある。私はしょっちゅう遊びに行っては、彼を眺めた。彼は色んなものを観察するのが好きで、私は彼を観察するのが好きだった。
「屋根の上のいいところは、風が邪魔されないことだよ。」
彼は、まるまると太ったネコと一緒に屋根の上にねっころがる。
「こいつ」
ネコ?
「気持ちよさそうな顔をして、布団にでもなったような気でいるんだろ。」
彼の横にはネコがいて、その横には天日(てんぴ)に干された布団が膨らんでいる。
お兄ちゃんの顔もネコと同じになってるよ。
随分と古い彼の家には部屋が全部で10コある。一階の部屋の襖(ふすま)をパンッパンッと開け放すと、すごい大広間みたいになって、とても気持ちいい。でも彼のことを発見するのは、もっぱら屋根の上か、台所。屋根の上が肌寒くなる夕方には、大抵台所にいた。
台所は、いつも奇麗だった。きちんと、食器があるべき場所にあって、オタマやフライパンがとても使いやすいところに掛けられていて。残り物や、作り置きの料理は、それに見合った器に入れられて、ぴったりとラップがしてあった。彼の家では、トマトはとても赤くて、ホウレンソウはとても緑色だった。
そして、涼しい季節になると、白い器に入ったバターは、冷蔵庫から出されて、戸棚に、その居場所を移した。
彼は木のバターナイフを、引き出しから取り出し、バターをテーブルの上に置いて、飽きもせずに眺める。
「バターはね、木のナイフで掬(すく)えるくらいが一番おいしんだ。」
へぇ、そうなんだ。
お兄ちゃんは、なんだか台所がすごく似合うね。
私は、教わった通りに、クッキーを作ってみる。彼は、ちゃんと観察して、ちゃんと批評して、ちゃんとどこかを褒めてくれる。 すごくいい先生だ。
「飽きちゃうのかな。」
ネコ?
ネコは、ここのところ塀の隙間に引っかかったプラスチックの飛行機が、気になって気になって仕方がない様子だった。今日、ついにそれがネコのものになったというのに、何日もかけて手にいれたそのオモチャに、なんと5分もしないうちに、飽きてしまったのだ。
「ずっと欲しかったものでも、手にいれてしまうと、飽きちゃうもんなのかな。」
・・・なんのこと?
それから何日かたって。学校から帰るとバターケーキの匂いがした。彼が焼いたのを、おばさんが持って来てくれたのだった。彼の作るバターケーキは、それはそれは美味しい。
でも、その日のケーキは、うまく喉を通らなかった。彼が、来週、料理の勉強をしに外国へ行ってしまうことを知ったからだった。
彼は、外国で自分の夢を叶えてコックになった。
そして、遠いその国に住み着いた。
いつだったか、こんなことを言っていた。
「食べるものでも何でもそうだけど、じっと見ててやるんだ。そして、そいつの一番いい時を、見つけてやるんだ。」
私は、私が大きくなって一番奇麗になった瞬間を、お兄ちゃんに見つけて後しいと思っていた。木のバターナイフみたいに、その手は暖かくて優しいから。
でも彼は、去年のクリスマスに、黄金色の髪をした奇麗な奥さんを連れて、挨拶にやってきた。
お兄ちゃん、叶った夢には飽きなかった?
言われてたんだろ、かずえに。変な男から電話がかかってきたら、相手にするなって。
「飽きないよ。・・・例えば、壁にぶつかったり、いきづまったりすると、鮮やかな色がどんどん色褪せていくような気がする。でも気がつくと、また違う、魅力的な色になって、目の前にあるんだ。」
そう。
私の見た夢は、黄金色をしていた。叶わなかった夢は、色褪せることはないみたい。
私は、すっかり大きくなった。
今年のクリスマスには一人でケーキを焼いてみよう。
あの頃のお兄ちゃんくらい、美味しいケーキが出来ますように。
END