- 女
- 私の不思議な友人。かぜゆきくんが、久しぶりに地球に帰ってきました。
くらい夜空から、じんわりと姿を表して、星たちに横顔を照らされて。
小さな私のアパートの、小さな小さなベランダに、かぜゆきくんは降り立ちます。
- かぜ
- やあ。こんばんは。
- 女
- こんばんは。まってました。かぜゆきくん。
- かぜ
- どうかな、今年の僕は、遅刻してないかな。
- 女
- 大丈夫です。時間ぴったり。少し早いくらいです。
かぜゆきくんにしちゃ、めずらしい。
- かぜ
- まったく不思議なことだけど、いつもなら、空にぶあついガスがかかって、
目印の灯がかすむのに、今夜は、ピィンと張り詰めた透明が、どこまでも続くんだ。
おかげで、迷うことなくまっすぐに、ここに帰って来ることができた。
- 女
- なんでだろ。
- かぜ
- ぼくのいない一年の間に、何かあったね。
- 女
- そんなの、やまほどありますよ。(笑う) おかえりなさい。かぜゆきくん。
- かぜ
- それ、改めて言われると、ちょっと照れくさいな。
- 女
- そんなこといわれると、余計に照れくさいですよ。
- かぜ
- 確かに。ただいま。僕のともだち。
- 女
- わたしとかぜゆきくんは、大学生の頃に知り合いました。
短くて長い時間をともにして、4回生の春、かぜゆきくんは亡くなりました。
そのときから、当然な顔をして、一年に一度こうやって、
かぜゆきくんはベランダに来るようになりました。
- かぜ
- 僕、ここに来るの、何回めになるかな。
- 女
- 10回目です。11年前に、ですから。
- かぜ
- ふうん、君、数えてるんだね。そんなに僕が恋しいの。
- 女
- いちいち数えていませんよ。かぜゆきくんのお別れ会が、
何年にあったかを覚えてるだけです。これはね、計算です。
- かぜ
- 計算ねえ。つまんないなぁ。
たとえば、今から僕が会いにいく人は、ぜんぶで76人だ。
24時間あるから、ひとり、18分だ。
- 女
- 短い。
- かぜ
- つまんない計算だろ。だから僕は素直にこういうの。君にキスをしたくて来たって。
キスは1分で済むから、のこりの17分を友達に使える。
- 女
- 計算してますね。
- かぜ
- ちがうよ。つまんない計算をつまんなくしないように、素直になってるんだよ僕は。
君も素直になったらいいんだ。
- 女
- かぜゆきくんはそういって、私が用意したビールの缶をあけました。
ベランダに風がさーっと入ります。
たとえば、わたしが素直になれたなら、私は滅びてしまうんじゃないかな。
と、考えて、やっぱり素直になれません。
- 携帯からラインがくる。ピロン!
- 女
- あ、メール。会社の。林くんだ。新人くんなんですけど、できるコなんです。
- かぜ
- へえ。「今夜の月、きれいですよ」たったこれだけ?
- 女
- 気軽に見ないでください。
- かぜ
- ふうん。
- 女
- なんですか。
- かぜ
- いってみますか。月の上。
- 女
- なにいってるんですか。かぜゆきくん。
- かぜ
- 迷っている暇はないよ。僕に手段はあるけれど、僕らには時間がないからね。
- 女
- ・・・わかりました。
- 女
- 私たちは不思議です。手をつなぐことも、互いの体を抱くこともない。
まよいながら、とまどいながら、ただ 星の光に頬を切られながら。
まっすぐ月へと進みます。
- かぜ
- 月って遠いんだよ。ぼくは今日、きっとずっと君に時間を使うんだ。
君はずっと僕に時間を使うんだ。
- 女
- 仕方ないですね、と私は答えます。
たとえこのまま、月についたとて、素直になることのない、私たちは不思議です。
- 終わり。