カーナビの声(男)
そのまま直進です。
深夜の国道を飛ばす車と、ハンドルを握りしめる女。
カーナビの声は、以下の女の言葉に、定期的に紛れ込み続ける。
リサ
ヒューストンからフロリダまでの1500キロ、
給油以外、一度も車からおりなかったわ。車で眠り、車で食べた。
これは執念じゃない、訓練のおかげ。
「ヒューストン。こちらヒューストン。あなたに会いにいくわ」
フロリダに入る手前、アパラチコーラ森林公園の路肩に寄せて、
少しだけ空を眺めた。私はかつてあの空の向こうを飛んでいた。
2300を指していた時計を一時間だけすすめる。
ここからはフロリダ。東部時間。
私からウイリアムを奪った女がオーランド国際空港におりたつのは0250。
そろそろ何も知らないあの女がヒューストンから飛行機に乗って私に追いつく。
ああ、星がきれい。
シャトルの中でウイリアムと私の恋を邪魔するやつなんかいなかった。
ディスカバリー。誰もいない高度380キロメートルの軌道上。
私の愛が地球を回る。ヒューストンからフロリダまで。ディスカバリーだと一瞬ね。
私は車で15時間。
宇宙飛行士はね、一度空をとんだら、もう地球の時間を生きられない。
宇宙の私は10倍早く年を取る。私の骨は10倍速く劣化する。
私の肌はひび割れる。それは地上におりても戻らない。
宇宙にいる間、私はあの女の10倍早く老いていく。でも、いいの。
私たちは訓練を受けているの、
フリーズドライと缶詰でできた最先端の科学を味わいながら、
漆黒の闇の中で極度のプレッシャーに耐える訓練を。
そう、かつて私が全人類に見上げられながら
寸分違わずロボットアームを操作してみせたあの場所。
あそこなら私の人生は10年で終わる。
地上なら100年かかる人生を、宇宙は10分の1にしてくれる。
重力。重力さえなければ。宇宙飛行士、よき妻、三人の子の母、空軍大佐、
リサ・ノワック。いいえ、私は女。女なの。アイラブユー、地球。私がママよ。
テキサスからアラバマを越えて、フロリダに。
紙おむつをはき、宇宙食を頬張りながら
15時間飛ばし続けた1500キロの道は暗くてまっすぐで。
なぜ道はいつだって目的地を目指してしまうのかしら。
たどり着くと、いつも道はすでに目的地についている。
あの宇宙にだって道はあった。
道はいつもひび割れて分かれ、無造作に伸びていく、
道はいつもたどった先に私たちの終わりを用意している。
振り返ればそのたどったひび割れから私の人生が漏れてあふれている。
秩序を目指せば目指すほど、私たちの前には無秩序が広がる。
もっとも秩序が満ちていた瞬間、それは宇宙の始まり。
残念だけど、そのときから私たち人間は、
ただひたすら無秩序を目指すことしかできないの。
ようやく見えてきた。誘導灯の明かりが。フロリダ、オーランド国際空港。
あの人が還ってくる。重力に導かれて。もうすぐあの女も降りてくる。
中途半端な空から。もうすぐ、もうすぐ着くわ。私の宇宙。
「ヒューストン。こちらヒューストン。あなたに会いにいくわ。」
カーナビの声(男)
目的地に到着しました。運転。お疲れ様でした。
おかえり、あなた。
おしまい