佐々木さん
(語り)ここは、ちいさな町のちいさな図書館。
職員は私、佐々木翠(みどり)と、高岡さんのふたりだけです
高岡さん
(貸出手続きをしている)はい。じゃあ、ぜんぶで4冊。
貸出期限は3月7日です。遅れないように返してください
佐々木さん
(語り)カウンターの前には、水色の帽子をかぶった男の子
高岡さん
次の水曜日には〈おはなし会〉があります。ぜひきてくださいね
佐々木さん
(語り)男の子、うなずきます。
そして、手提げカバンに本をつめて帰っていきます
高岡さん
さようなら
佐々木さん
(語り)時刻は午後4時55分。
ちいさな図書館にはだれもいなくなりました
高岡さん
佐々木さん
佐々木さん
はい
高岡さん
あの子、どう思います?
佐々木さん
いまの、男の子ですか?
高岡さん
そうです
佐々木さん
よく〈おはなし会〉にきてくれますよね。
いつも一番いい顔をして聞いてくれるから、あの子がいる日は
とくべつ気合いが入ります。……あの子がどうか?
高岡さん
ちょっと気になってて
佐々木さん
実はわたしもです。5歳くらいですよね、あの子
高岡さん
ええ
佐々木さん
いつもひとりだなあって。お友達はいないのかな、とか、
おうちのひとはどうしてるのかな、なんて、つい
高岡さん
それもあるんですが
佐々木さん
なにか、ほかに?
高岡さん
あの子、本を借りないんです
佐々木さん
え?
高岡さん
あ、正確には、借りる本と、借りない本とがあるんです。
昆虫図鑑とか宝探しの本なんかは借りていく。今日もそうでした
佐々木さん
はい
高岡さん
でも、ほら、〈おはなし会〉では熱心に聞いてくれる、
味のある絵でいっぱいの物語の絵本、
そういうものは、一度も借りて帰ったことがない
佐々木さん
そういえば……。気づきませんでした
高岡さん
僕が気にしすぎるんだと思います
佐々木さん
どうして、物語の絵本は借りないんでしょうか
高岡さん
『字が読めないから』
佐々木さん
え?
高岡さん
彼がそう言ったんです。おせっかいを焼いて本を勧めてしまった僕に
佐々木さん
字が読めないから……
高岡さん
はずかしいと思っているのかもしれません。
おうちに本を読んでくれる大人がいないのかもしれません。
彼には彼の、事情があるんだと思います。
ただ、どうしても気になるんです
佐々木さん
ーー字が読めないからこそ、読める世界があるのに
高岡さん
佐々木さん
あ。……わたし、ずっとふしぎだったんです。
〈おはなし会〉で、こどもたち、まばたきも惜しむみたいにして、
いったいなにを見ているんだろう? って。
もしかしたら、お話だけじゃない、もっとたくさんのものを、
絵のぜんぶから受け取っているんじゃないかって
高岡さん
もっとたくさんのもの
佐々木さん
それがなにかはわかりません。
わたしたちはもう、字が読めなかったころには戻れませんから。
『くらいよるです』と書いてあれば、ただ『暗い夜なんだな』と思って
絵を見てしまう。でも、あの子ならーー
高岡さん
あの子なら?
佐々木さん
教えてくれるかもしれません。
わたしたちがもう失ってしまった、世界との出会いかた
高岡さん
……
佐々木さん
ごめんなさい。勝手ですね。
あの子は、字が読めるようになりたいって思っているかもしれないのに
高岡さん
……
佐々木さん
5時ですね。シャッター閉めますね
高岡さん
佐々木さん。これから、おひまですか
佐々木さん
え?
高岡さん
一緒に選んでくれませんか。本を。いまのあの子へ。
これからのあの子へ。これからの、僕らとあの子へ
佐々木さん
はい
どこからか5時を告げるチャイム(あるいは音楽)が聞こえてくる。
佐々木さん
……わたしたちの仕事って、もどかしくて、いいですね
高岡さん
……いいですね。もどかしくて
終わり