- 勇次のM
- その日、桜子さんのスイッチが入ったのは、
2人でパスタを食べ始めた直後だった。作ったのは僕。
- 2人でパスタを食べだす
- 勇次
- どう?
- 桜子
- …お前はよくやってる。
- 勇次
- …それって、美味いってこと?
- 桜子
- 私の目を見て。いいから見るの。
- 勇次
- 見てるけど…
- 桜子
- おっと、私としたことが…さあ坊や、それをこっちに渡すのよ。
悪いようにはしないから。
- 勇次
- ああ、タバスコね。
- 桜子
- …ゆっくり、そう、その調子。いい子だからおとなしく…
(受け取り)OK。ショーの始まりね。
- タバスコをシャカシャカ振って、思いっきり掛ける桜子。
- 勇次
- ちょっと掛け過ぎ…
- 桜子
- もうウンザリ! いい加減にして頂戴。パパはいつだってそう!
- 勇次
- パパじゃないし。
- 桜子
- ジャック…貴方疲れてるのよ。
- 勇次
- いつからパスタに名前が…
- 桜子
- わかったわ。じゃあこうしましょう?
2度は言わない、よーく聞いて。……あばよ、化け物。地獄に落ちろ。
- ガツガツとスパゲティーを食べる桜子。
- 勇次のM
- 桜子さんが僕の部屋に転がり込んできたのは先週の土曜。
共通の友人、保先輩が、この世を去った1週間後だった。
気晴らしにと、海外ドラマシリーズを借りてきたのが僕。
1日10本以上見続けているのが桜子さん。
- 桜子
- (食べながら)なかなかやるわね。これが最後の警告よ。
世の中には2種類の人間がいるの。それはね…パスタとソースよ!
- 勇次
- そもそも人間じゃないし。
- 桜子、パスタを完食する。
- 桜子
- ふう…手こずらしてくれたじゃない。最高にイカレた夜だわ
(勇次に)で? アンタ名前は?
- 勇次
- 勇次です。
- 桜子
- いい名前ね。でもこの町じゃ、名前に意味なんてないのよ。
- 勇次
- はあ…
- 桜子
- よかったらこのあとコーヒーでもどう?
- 勇次
- …ああうん。ちょっと待っててね…
- 洗い物の。遠くでアクション系のドラマ。
- 勇次のM
- 口をきいてくれない桜子さんが、食事の時だけヒロインになる。
それは食後のコーヒーでフェイドアウトし彼女は画面に帰っていく。
僕はその現象を歓迎した。桜子さんは最初の3日間、一切食事をしなかった。
その安心感ももちろんだけど…
- 海外ドラマの流れる中、声を潜め泣いている桜子。
- 勇次のM
- 桜子さんは僕のヒロインだから。保先輩を紹介するずっと前から。
先輩に熱い視線を送っている桜子さんに気づいた時も、
3人のグループLINEが減っていったあの頃も、僕の気持ちは…
- 桜子
- ねえ。
- 勇次
- …え、ああ、うん。
- 桜子
- 良いニュースと悪いニュースがあるの…
- 勇次
- あ、何か食べます?
- 桜子
- ううん。
- 勇次
- え、じゃあ…
- 桜子
- どちらから聞きたい?
- 勇次
- えっと…良いニュース…
- 桜子
- …ありがとね、勇次。
- 勇次
- …え?
- 桜子
- お前はよくやってる。でも、もう少し時間を頂戴。
せめてこのシリーズを見終わるまでは。
- 勇次
- 桜子さん…
- 桜子
- ごめんね。私、勇次の気持ち知ってて…
- 勇次
- 僕も真似していいですか?
- 桜子
- え?
- 勇次
- 桜子はいい女だ。先輩はお前を愛してる。
- 桜子
- …うん。
- 勇次
- あいつは…助からなかった…
- 桜子
- …うん。
- 勇次
- だから俺は……あ、待って。ねえ、悪いニュースの方って…
- 桜子
- 席を外してくれる?
- 勇次
- え?
- 桜子
- 第7シーズン見終わった。ファイナル10巻借りて来て。
- 勇次
- …ラジャ。
- (おしまい)