- 学校の校内放送や、生徒の笑い声などが微かに聞こえる。
- 女
- ねえ、何で無視するの?君、美術部に入ってよ。
- 男
- とても無視できそうにない大きな目をして、彼女は言った。
- 女
- こないだの生物のスケッチ見たんだ、すごかった。
- 男
- 芸術と観察の記録は違うと言っても、彼女は折れようとしなかった。
- 女
- あれは才能だと思うな。とりあえず、一回でいいから来てよ、部室。
- 男
- 腕を引いて、彼女は僕を美術室に誘った。
- 音楽。強く乾いた風が葉や枝を擦る音が微かに聞こえる。
- 女
- 私たちが高校に入学した年は、確か日本で初めて砂漠化が始まった年だった。
- 男
- このままだと砂漠化はますます進んで、近いうちに地球は砂の惑星になるよ。
- 女
- 彼の言葉が現実になるなんて、あの頃の私は思いもしなかった。
- 男
- いや、だからって、今君の食べているアイスをくれって意味じゃないから。
- 女
- 彼はいつも真面目だった。私はいつも彼のそばにいて、同じ風を感じていたかった。
- 男
- 僕の夢?…僕は、植物学者になって、砂に育つ植物を研究したい。
- 女
- そして数年後、彼は本当に、人類を食料危機から救う研究を始めた。
- 音楽、止む。広い美術館に、反響する靴音が微かに聞こえる。
- 女
- ね、この絵、知ってる?ゴッホの「花咲くアーモンドの木の枝」。
- 男
- 白く花をつけた枝が、青い空に手を伸ばすように描かれていた。
- 女
- ゴッホは、弟のテオの結婚を祝うために贈ったんだって。私が、一番好きな絵。
- 男
- 彼女は振り向いて、決められた台詞を口にするみたいに言った。
- 女
- 私が結婚したら、君が描いてくれる?私のための「アーモンドの木の枝」。
- 男
- 顔をしかめたのは、話が唐突だったからで、
断らなかったのは、彼女の笑顔が見たかったからだ。
- 音楽。機械の作動音や器具同士が触れ合う金属音が微かに聞こえる。
- 男
- 彼女は僕の研究の、最初の被験者となった。
- 女
- 私、自分はすごくついてると思うの。君の研究の役に立てるんだから。
- 男
- 急速に進行する砂漠化を食い止めることはできず、
僕たちは人類を植物として生かす技術を開発した。
- 女
- ヤナギなんか氷河期が来ても生き残るんだってね。って、釈迦に説法か。
- 男
- 彼女の遺伝子情報は植物に内蔵され、永遠に近い時を生きることができる。
でも、そのかわり。
- 女
- もうすぐ、お別れだね。
- 男
- 笑うことも、怒ることもなくなって、ただ静かに根を張って、ただ生きていく。
- 女
- あのね、内緒にしてたけど、実は入学したときから知ってたんだよ、君のこと。
- 男
- 僕も、彼女に言えなかったことがある。
「アーモンド」の絵は、僕も好きだったということ。そして、
- 女
- 水やりをお願いね。今まで、ありがとう。
- 男
- 僕は君にとってのゴッホじゃなくて、テオになりたかったということ。