- 年を得て、たっぷりした白髪、リネンの白シャツに、
            灰色の着古したニット・ベスト。小柄な女性だ。
            場所は作家の家。都会のアパート。
            質のいい植物や雑貨、本でうっそうとしている。
            担当さんがチャイムをならし、今日も家にやってきた。
            ラグビー選手のように、体が大きく、生真面目そうな男性で、
            作家のもとにやってくるときは、履き替えるようの靴下を欠かさない。
            挨拶をすませ、原稿を受け取り、別室で目を通す。
            出されたお茶をのみ、一息ついて、彼女の待つ、狭い書斎の前に立つ。
            時計は四時をさしている。木製の針が、小さく乾いた音を立てて鳴っている。 
        - 担当
 
        - 先生、今、よろしいでしょうか。
 
        - 作家
 
        - ええ。どうぞ。
 
        - 担当
 
        - 月間長月(チョウゲツ)第312号。草山春子による今月の短編。
            「いつか海で」確かに頂戴しました。 
        - 作家
 
        - 特集記事は確か、外国資本によるなんちゃらだったかしら。
 
        - 担当
 
        - はい。うちのような、角張った経済専門誌に、草山先生の短編は、なんというか、みずみずしくて。
            もったいないといつも思います。今回も、胸に沁みました。「いつか海で」 
        - 作家
 
        - そうですか、それは、ようございました。高山さんにもどうぞ、よろしくお伝えくださいね。
 
        - 担当
 
        - はい。うちの編集長は先生の大ファンですから。必ず、伝えます。
 
        - 作家
 
        - (笑って)あの人が長だなんて。年をとると、驚くことばかりですよ。あなたは知ってるかしら。
            あの人、私なんかより、いい書き手なんですよ。・・・いつからか筆をおって、いつからか
            長になって。ライバルだった私に声をかけてくださった。わからないものですね。人生は。 
        - 担当
 
        - ・・・実は、先生。大変申し上げにくいのですが。
 
        - 作家
 
        - なんでしょう。
 
        - 担当
 
        - ・・・次の号で、長月が休刊することになりました。
 
        - 作家
 
        - 休刊。
 
        - 担当
 
        - 専門誌ですから、もとから部数はそこまで多くなかったんです。編集長の目利きと、それに
            魅せられた熱心な読者で支えられてきました。でも、経済誌で、月間は、今のスピードにさすがに
            合わなくて。それで先月、上から。問答無用でした。 
        - 作家
 
        - おどろいた。急ですね。まさか次の号でおしまいだなんて。
 
        - 担当
 
        - 編集長も頑張ってらしたのですが。
 
        - 作家
 
        - じゃああなたは、別の雑誌へ?
 
        - 担当
 
        - いえ、これを機に、社を離れます。他にやりたい仕事があって。
 
        - 作家
 
        - そう。高山さんは・・・あの人はどうなるんです。別のところに?
 
        - 担当
 
        - それが・・・店を開くと。
 
        - 作家
 
        - え。
 
        - 担当
 
        - 花屋を始めると。
 
        - 作家
 
        - 花屋。
 
        - 担当
 
        - はい、海沿いに、小さな店を持つそうで。
 
        - 作家
 
        - 海沿いに、小さな店を。
 
        - 担当
 
        - 心当たり、おありですか。草山先生。
 
        - 作家
 
        - いいえ。
 
        - 担当
 
        - 編集長、みたまんまの堅物ですから。ぼくら、びっくりしちゃって。政治を取り扱うweb雑誌、
            その席もあったんです。なのに。 
        - 作家
 
        - けっとばしたのね
 
        - 担当
 
        - 見事に。
 
        - 作家
 
        - それで、海のそばの花屋になると。
 
        - 担当
 
        - もう物件も見つけたそうです。似合いませんよね。
 
        - 作家
 
        - 本当に。
 
        - 担当
 
        - ・・・「海風で、花はすぐに痛むから、海のまちには花屋が足りない。」
 
        - 作家
 
        - それは、少し前の。
 
        - 担当
 
        - はい。「いたんだ花は、店先を飾るだけで、そのあとは捨てなくちゃいけない。」先生が以前
            書かれた短編です。海沿いの花屋が舞台でした。 
        - 作家
 
        - 「だから、僕は、君に花束を贈るんだ。毎日、売れ残った花を、君に束ねて贈るんだ。これは、
            告白なんかじゃないよ。経済の話だよ。枯れる前に、君に、花を贈りたいだけなんだ。」 
        - 担当
 
        - 僕、あの話を思い出してしまって。
 
        - 作家
 
        - ずっとずっと若い頃に、私たち、そんな話をしたんです。
 
        - 担当
 
        - そうだったんですね。
 
        - 作家
 
        - 編集長になる前、あの人は良い書き手で、もっとその前は、海沿いの花屋で働いて。私は、
            近くに住む、学生だった。 
        - 担当
 
        - わからないもんですね。
 
        - 作家
 
        - 年を重ねて、ごまかしても。枯れる前の花だと、伝えても。
 
        - ふたりのいるアパートは海から離れているけれど、
            作家の心は海のそばにいるようで、海の音が聞こえてくる。 
        - 終わり。