- 夜景の見える静かな丘。
            虫の声。あるいは感傷的な音楽。
            二人は、まるで別れ話のように。 
        - 男
 
        - わざわざ来てもらったのに。ごめん。
 
        - 女
 
        - もう、本当に、……ないんだ?
 
        - 男
 
        - ごめん。
 
        - 女
 
        - ねぇ、最後にさ、順番に、思い出してみない?
 
        - 男
 
        - ……うん。
 
        - 女
 
        - 初めて出会ったのは、大学の、掲示板の前だったよね。
 
        - 男
 
        - 時間割を眺めてて。そのときは、大人しそうな子だなって思って。
 
        - 女
 
        - あのとき、シンペイはヒロくんと一緒にいたよね?
 
        - 男
 
        - そう。サオリはたしか、マコちゃんと一緒にいた。
 
        - 女
 
        - で、ヒロくんとマコちゃんはもう友達になってたから。
 
        - 男
 
        - それで、なんとなく、その四人で話すようになって。
 
        - 女
 
        - いつからだっけ。あたしのこと、サオリって呼ぶようになったの。
 
        - 男
 
        - 最初は「山本さん」だったけど、ヒロもマコちゃんもサオリって呼んでたから、
            いつの間にか、僕もサオリって呼ぶようになって。 
        - 女
 
        - あたしがシンペイって呼ぶようになったのは……、
 
        - 男
 
        - それは覚えてる。初めて二人で飲んだとき。
 
        - 女
 
        - え、学生通りの焼き鳥屋さん?
 
        - 男
 
        - そう。あのとき、少し酔ったサオリが、急に、シンペイって。
            思ってたよりも、よく喋るし、よく笑うし、それに、よく食べるし。
            それで、いい子だなって思って。 
        - 女
 
        - また誘ってくれたんだよね?
 
        - 男
 
        - 今度は、デートのつもりで。
 
        - 女
 
        - あたしも、男の子と二人で水族館に行くのなんて初めてで。
 
        - 男
 
        - 正直、ずっと緊張してて。
 
        - 女
 
        - マンボウを見て、二人でやっと笑ったのを覚えてる。
 
        - 男
 
        - それで、次のデートで告白しようって決めて。
 
        - 女
 
        - その決意に気がつきながら、あたしは、すました顔してて。
 
        - 男
 
        - コクリコ坂を観た帰り、駅のホームで告白したんだ。
 
        - 女
 
        - そしたらちょうど、電車が通過してね。
 
        - 男
 
        - 「ごめん、なんて?」って言われて。
 
        - 女
 
        - あはは。
 
        - 男
 
        - それからの毎日は、ずっと楽しくて。
 
        - 女
 
        - いろんなところに、二人で出かけて。
 
        - 男、涙声になり始める。
 
        - 男
 
        - 大学を卒業して、就職もして。
            目の前の景色がどんどん変わって、それでもサオリが、隣にいて。 
        - 女
 
        - うん。
 
        - 男
 
        - これからもずっと一緒にいたいと思ったから。
 
        - 女
 
        - うん。
 
        - 男
 
        - 今度は、電車にかき消されないように。
 
        - 女
 
        - 素敵な夜景の見える丘に。
 
        - 男
 
        - 誘ったんだけど。でも、もう…。
 
        - 女
 
        - うん。
 
        - 男
 
        - 忘れないように、玄関の靴箱の上に置いてあったんだ。
 
        - 女
 
        - うん。
 
        - 男
 
        - 出かける前に、服を着替えて、胸ポケットにしまって、靴を履いて。
 
        - 女
 
        - うん。
 
        - 男
 
        - 靴を履いたときに胸ポケットから落っことして。
 
        - 女
 
        - うん?
 
        - 男
 
        - ここじゃ危ないから、絶対に落とさないところに入れて持っていこうと思って。
 
        - 女
 
        - うん!
 
        - 男
 
        - トッ、トッ、トランク! ああ、トランクだ! トランクに入れて、迎えに来たんだ!
 
        - 男、車のトランクを開ける。
 
        - 女
 
        - なくしてたもの、見つかった?
 
        - 男
 
        - うん。
 
        - トランクを閉めると、一切の音がやんでいる。
 
        - 女
 
        - ……静かだね。
 
        - 男
 
        - 結婚してください。
 
        - END