- パンドラ
- 見上げると頭の上一面に青い海。魚が飛んで手を伸ばすとウロコに触れ、背びれに触れ、
尾びれに触れて、そしたらびょぉんと背ヒレが伸びて羽になって、
魚は鳥になってペタペタと地面を歩き回るから、私、その鳥の背中に飛び乗ったとたんに、
鳥が四足の獣に姿を変えて時速200キロで走り出すの。
- ゴォォォォォ、と高速をすっとばずBMWのような疾風が吹く。
- パンドラ
- びゅんびゅん景色がすっ飛んでいくの。赤、青、黄色、緑、ダイダイ、紫
あんまり速すぎてその景色が町なのか、森なのかさえ分からない。
湖が空中に浮かんでいたかもしれない。
いつまでも終わらない二重の螺旋階段があったかもしれない。とぉくから声がするの。
私、風に飛ばされないように後ろを振り返ったら、緑のぶよぶよした生き物が無数にいて、
- カエレー
カエレー
カエレー
- パンドラ
- って鳴いてた。もう引きかえせないさと、四足の獣が言ったような気がする。
- 僕
- ストップ。
- パンドラ
- まだまだ続くよ。
- 僕
- もういい。
- パンドラ
- 私が生まれる前の風景よ、聞きたくない?
- 僕
- そんなわけないだろ。
- パンドラ
- あ、信じてないな。
- 僕
- だってお前ロイドなんだから。
- パンドラ
- 略さないでくれる?
- 僕
- 高性能人工知能内臓改良型2080アンドロイド。
- パンドラ
- 恋人タイプが抜けてる。
- 僕
- 正式名称長いんだよ。
- パンドラ
- ロイドが生まれる前の記憶持ってちゃおかしいの?
- 僕
- 普通は持ってない。
- パンドラ
- 嘘じゃないよ。偽装工作の機能、私にはないから。
- 僕
- 耳の後ろのチップ抜いたら鉄クズだろ?
- パンドラ
- そんなオールドタイプじゃございません。20代の肌を保ってるの。
今、西暦何年だと思ってるの。時間が平成で止まってるんじゃない?
なんて嫌味も言える高性能なのよ、私。
- 僕
- だったらそれは内臓されてる人工知能が見た風景だろう。
- パンドラ
- そうね。あなたの死んじゃった恋人の記憶。
- 僕
- だからお前じゃない。
- パンドラ
- 毎日毎日そればっかり。
- 僕
- だから毎日後悔してる。
- パンドラ
- 記憶はあるけど、私はロイドであなたの死んじゃった恋人そのものじゃないの。
それくら分かって製造したのよね?
- 僕
- 分かってたよ、
- パンドラ
- けど。でしょ?ちょっと想像が足りなかった?人間のくせに。
- 僕
- 黙ってろ。黙ってれば少し心落ち着くから。
- パンドラ
- 恋人とのギャップがあり過ぎて?
- 僕
- 黙ってろ!
- パンドラ
- アンドロイド保護法により理不尽な強制は罰せられるって知ってる?
- 僕
- 頼むから、じっと黙って窓辺で頬杖ついていてくれるだけでいい。
- パンドラ
- 自分が創ったからって、そんな都合よくコトが運ぶと思わないで。ねぇ。
- 僕
- なんだよ。
- パンドラ
- そんなに後悔するならいっそぶっ壊して。
- 僕
- …僕に、そんなことが出来ると思うか?同じ姿で同じ声なのに。
- パンドラ
- だったら私を見て。
- 僕
- 君は、
- パンドラ
- 私を見て。
- 僕
- ロイドだろ…?
- パンドラ
- これはあなたの恋人の記憶なの?それとも私の中で生まれた言葉なの?
高性能な私でも、分からないのよ。
- 僕
- …もう引き返せないか…
- パンドラ
- え?
- 僕
- カエレー…あれは僕の記憶だったのかもしれないな。
- パンドラの箱を開けた僕は、
血の通っていない唇にキスをした。
- おしまい