- 男
- 日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、俺には帰る家が無い。ふと足元に目をやると、
 自分の左足の小指から、一本の細い糸が伸びているのに気がついた。
 ……運命の赤い糸、という伝説を聞いたことがある。俺は深く考えることもなく、
 その赤い糸が伸びる方向へと、歩み始めた。
- 足音。
- 男
- どのくらい歩いただろうか。突然、赤い繭が俺の眼前に現れた。
 タマゴのような形をしているが、うっすらと人型にも近いように思える。
- 男
- あのー、すいません。
- 女
- ひゃっ! えっ、あっ、な、なんでしょうか。
- 男
- ……何をしているんですか。
- 女
- な、な、なにをしているって、あたしは……。
- 男
- なにか、お困りですか。
- 女
- いえ、困っては、おりませんが。
- 男
- 女を包む赤い繭は、俺の左足の小指と繋がっていた。俺は、そのことを女に告げた。
- 女
- そう、なんですか。
- 男
- あの、あなたは、いつからそこに。
- 女
- いつからって、そんなこと、急に聞かれても。
- 男
- そこから、出たくはありませんか。
- 女
- 出たくはないかって、そんなこと、急に言われても。
- 男
- 俺は、自分の左足の小指から伸びる赤い糸を、引っ張ってみた。
- しゅるしゅるしゅる。
- 女
- あの、何をしているんですか。
- 男
- あなたの繭をほどいています。俺の左足から伸びる赤い糸を引っ張って。
- 女
- ど、どうしてそんなことするんですか。
- 男
- どうしてって、だって、つながっているから。
- 女
- や、やめてください!そんな、突然やってきて、繭を、ほどかないでください。
- 男
- ……すみません。
- 女
- あたしの家が、なくなってしまうじゃないですか。
- 男
- そこは、あなたの家なんですか。
- 女
- ここがあたしの家かって、そんなこと、改めて聞かれても。あなたの家は、どこですか。
- 男
- ……俺に、家はありません。
- 女
- そうですか。
- 男
- はい。
- 女
- 申し訳ありませんが、ここに招き入れることはできません。
- 男
- ええ、それはもちろん。
- 女
- 旅に出てはいかがですか。
- 男
- 旅?
- 女
- あたしの繭に触れないでください。あたしの繭があなたと繋がっているのなら、
 あなたが遠くに行けば行くほど、あたしの繭はほどけていきます。……そうしてくださいな。
- 男
- 俺が遠くに行けば行くほど、あなたの繭はほどけていく。
- 女
- あなたは、歩いていくべきです。だからきっと、その赤い糸は、手ではなくて、
 足から伸びているんだと思いますよ。
- 足音。
- 男
- ……俺は再び、歩み出した。俺には帰る家が無い。この足の小指から伸びる糸の先も、俺の帰る先ではなかった。しかし少なくとも、俺が歩めば歩むほど、女の繭は細くなり、やがてなくなってしまうだろう。だから俺はきっと、どこか遠く離れた場所で、あの女が暖かいスープでも飲める場所を用意しなければならないのだ。きっと、だから、俺は、歩く。
- END