- 仏壇前。チーンと鐘の鳴る音。
- 蓮子
- おはようございます。お義父さん。今日も家族みんな元気で過ごせますように。
- 武彦
- はいはい。私が死んでちょうど三か月になる。死んだ直後は葬式だ四十九日だ
 悲しみがとまらないだとバタバタしていた家族だが、そろそろ落ち着きを見せてきた。
 よかった。
- 蓮子
- 行ってきます、お義父さん!
- 武彦
- この人は私の長男信彦(のぶひこ)の嫁の蓮子(はすこ)さんだ。
- 蓮子
- おはようございます、お義父さん。昨日テレビで戦争のドキュメンタリー番組を見ました。
 一刻も早く世界を平和にしてください。
- 武彦
- 願いが大きいなあ。ほかの霊に聞いたところによれば、我々の力というのは、
 ものすごく頑張っても木の葉一枚を少し飛ばせるくらいらしい。
- 蓮子
- お義父さん。智彦(ともひこ)のクラスでインフルエンザが流行っているようです。
 智彦に移りませんように。
- 武彦
- はいはい。
- 蓮子
- お義父さん。PTAの役員が回ってきそうです。ほかの人に決まりますように。
- 武彦
- だんだんささいな願いになってきたなあ。
- 蓮子
- お義父さん。道に1000円落ちていますように。
- 武彦
- せこい願いだ。
- 蓮子
- お義父さん。明日起きたら20代に戻っていますように。
- 武彦
- 無理だ。
- 蓮子
- お義父さん。信彦さんが無事退院できますように。
- 武彦
- その年の秋、信彦が病気になった。発見が遅かったのと、まだ若かったせいで、
 進行は早かった。信彦はその年を越せなかった。蓮子さんは次の春になっても、
 信彦の遺骨を墓に入れることができなかった。
- 蓮子
- お義父さん。私はどうして病気に気づくことができなかったんでしょうか。
- 武彦
- 蓮子さんのせいじゃない。私の言葉は、蓮子さんに届かない。
- 蓮子
- お義父さん。パートに行ってきます。
- 武彦
- 蓮子さんは、仏壇に向かって、信彦の名前は呼ばなかった。
- 蓮子
- お義父さん。外食がしたいです。
- 武彦
- 家計は苦しいようだった。蓮子さんは「うどんを食べたら寿命がのびる。」と 
 明らかなウソをついてスーパー玉出で買った一玉1円のうどんを智彦によく食べさせていた。
- 蓮子
- お義父さん。財布にもう2000円しかありません。
- 武彦
- その日、蓮子さんはパート帰りにコンビニに寄った。
- 蓮子
- アイス食べたい。ハーゲンダッツじゃなくていいよ。ピノでいいよ。140円て。
 高いよー。食べたいよー。
- 武彦
- ・・・あっ!100円!100円が落ちている!!蓮子さん蓮子さん!!・・・
 風よ吹け!蓮子さんのもとへ行くんだ、100円玉!
- ものすごくささやかな風が吹く。
- 武彦
- 動かんかあ。
- 蓮子
- 千円。
- 武彦
- えっ。
- 蓮子
- 千円、落ちてる!
- 武彦
- なんと!千円札も落ちていたのか!
- 蓮子
- お義父さん。昔、1000円拾えますようにってお願いしたことありましたね。
 叶えてくれたんですか。
- 武彦
- まあ、そういうことになるのかな。
- 蓮子
- ありがとうございます。
- 武彦
- 私が死んで火葬場で焼かれた時のことだ。お棺を出して骨をみんなで拾う時、当時五歳だった智彦がこう言った。「じいじい、骨に変身。」あんなユニークなことを言う子供を育てた蓮子さんだから、きっと大丈夫だろう。
- 終わり。