ウシガエル
君には、下限を狙う癖がある。
ウシガエルはそう言った。
ウシガエル
そこにハードルがあるとき、最小限の労力で、
できるだけすれすれの高さで飛ぼうとするのは、少なくとも君の癖だ。
「静かにしてくれないか」、と僕は言う。
しかし、ウシガエルは、僕の言葉に耳を貸さない。
ウシガエル
君は常に、許されることを優先する。変わった男だよ。
褒められることなど夢想だにせず、君はただ、許される高さで飛ぼうとする。
話の内容はほとんど、僕についてだ。
僕の性格に文句があるのか、それともそれしか話すことができないのか、
心理分析めいたことをひたすら語る。
ウシガエル
私が思うに、君の生きる原動力は義務感だ。親を悲しませたくない、だから生きる。
幸せにならなくちゃいけない、だから生きる。ここまで生きてきたのだ、だから生きる。
静かにしてくれないか。
ウシガエル
故に君は、達成感と疎遠な存在だ。君の抱える義務感には終わりがない。
つまり達成がない。それが義務だとするならば、得られるのは疲労感のみだ。
よって君は、下限を狙う。
人生そのもののパートタイムジョブ化とでも言おうか。
もちろん、パートタイムジョブならそれでかまわないのかもしれない。
しかし君は、生き様がそうなのだ。仕事も趣味も道楽も、綯交ぜにして義務としている。
僕は磨いていたガラス瓶を机に置いた。集中できやしなかった。
ウシガエル
君のその、ガラスアート。周りのみんなはこう言う。
君が好きでやっていることだろうと。
ところが、どうも君を見ているとそうではないと気づかされる。
君の作るガラスアート作品でさえ、恐るべきことに君は下限を狙っている。
追求や探求もない。――これなら問題ない、という考えが思考を支配している。
私は問いたい。その“問題”とやらは、一体誰が出題した“問題”なのか。
静かに、してくれ。
ウシガエル
私に言わせれば、君のその“許されようとする姿勢”そのものが、
許されざる怠惰に思えるのだがね。君自身、とうに気づいていることだとは思うが。
静かにしろって言ってるだろ!
ガラス瓶の割れる音。
ウシガエル
断言しておく。君のその義務感は、すべて錯覚だ。君に、やるべきことなど何もない。
誰も君に、求めてなどいない。
君の行いはすべて、君が自発的に取り組んでいることだ。
仕事も、趣味も、道楽も、飲食も、睡眠も、喫煙も、恋愛も、盛装も、
君の生命の持続でさえ、義務でも何でもない。君の勝手だ。
……掃除しなくちゃ。
ウシガエル
しなくてもかまわないが。
箒はまるで、鉛で出来ているかのように重かった。いつもそうだった。
ウシガエル
だから君は下限を狙う。そして、そのことに罪悪感を覚える。
義務感と罪悪感が、君の人生のガソリンだ。
掃除なんてしなくてもかまわないのに、掃除をしなくちゃいけないと考え、掃除をする。
だけど掃除なんてしなくてもかまわないと考えているからこそ、できるだけ最小の労力で、許されるすれすれを狙おうとする。そしてそのことに、罪悪感を覚えかける。だからこそ、“罪悪感を覚えない程度に”を狙う。君の最大下限目標値だ。最低限が、君の最高到達点だ。
今日はもう、眠ろうと思った。
これ以上ウシガエルの言葉に耳を貸すと、僕は死んでしまうかもしれないと思った。
許されるすれすれを生きて、許されるすれすれで暮らしたい。明日も。
ウシガエル
ゲコゲコ。
END