- ウシガエル
- 君には、下限を狙う癖がある。
- 男
- ウシガエルはそう言った。
- ウシガエル
- そこにハードルがあるとき、最小限の労力で、
できるだけすれすれの高さで飛ぼうとするのは、少なくとも君の癖だ。
- 男
- 「静かにしてくれないか」、と僕は言う。
しかし、ウシガエルは、僕の言葉に耳を貸さない。
- ウシガエル
- 君は常に、許されることを優先する。変わった男だよ。
褒められることなど夢想だにせず、君はただ、許される高さで飛ぼうとする。
- 男
- 話の内容はほとんど、僕についてだ。
僕の性格に文句があるのか、それともそれしか話すことができないのか、
心理分析めいたことをひたすら語る。
- ウシガエル
- 私が思うに、君の生きる原動力は義務感だ。親を悲しませたくない、だから生きる。
幸せにならなくちゃいけない、だから生きる。ここまで生きてきたのだ、だから生きる。
- 男
- 静かにしてくれないか。
- ウシガエル
- 故に君は、達成感と疎遠な存在だ。君の抱える義務感には終わりがない。
つまり達成がない。それが義務だとするならば、得られるのは疲労感のみだ。
よって君は、下限を狙う。
人生そのもののパートタイムジョブ化とでも言おうか。
もちろん、パートタイムジョブならそれでかまわないのかもしれない。
しかし君は、生き様がそうなのだ。仕事も趣味も道楽も、綯交ぜにして義務としている。
- 男
- 僕は磨いていたガラス瓶を机に置いた。集中できやしなかった。
- ウシガエル
- 君のその、ガラスアート。周りのみんなはこう言う。
君が好きでやっていることだろうと。
ところが、どうも君を見ているとそうではないと気づかされる。
君の作るガラスアート作品でさえ、恐るべきことに君は下限を狙っている。
追求や探求もない。――これなら問題ない、という考えが思考を支配している。
私は問いたい。その“問題”とやらは、一体誰が出題した“問題”なのか。
- 男
- 静かに、してくれ。
- ウシガエル
- 私に言わせれば、君のその“許されようとする姿勢”そのものが、
許されざる怠惰に思えるのだがね。君自身、とうに気づいていることだとは思うが。
- 男
- 静かにしろって言ってるだろ!
- ガラス瓶の割れる音。
- ウシガエル
- 断言しておく。君のその義務感は、すべて錯覚だ。君に、やるべきことなど何もない。
誰も君に、求めてなどいない。
君の行いはすべて、君が自発的に取り組んでいることだ。
仕事も、趣味も、道楽も、飲食も、睡眠も、喫煙も、恋愛も、盛装も、
君の生命の持続でさえ、義務でも何でもない。君の勝手だ。
- 男
- ……掃除しなくちゃ。
- ウシガエル
- しなくてもかまわないが。
- 男
- 箒はまるで、鉛で出来ているかのように重かった。いつもそうだった。
- ウシガエル
- だから君は下限を狙う。そして、そのことに罪悪感を覚える。
義務感と罪悪感が、君の人生のガソリンだ。
掃除なんてしなくてもかまわないのに、掃除をしなくちゃいけないと考え、掃除をする。
だけど掃除なんてしなくてもかまわないと考えているからこそ、できるだけ最小の労力で、許されるすれすれを狙おうとする。そしてそのことに、罪悪感を覚えかける。だからこそ、“罪悪感を覚えない程度に”を狙う。君の最大下限目標値だ。最低限が、君の最高到達点だ。
- 男
- 今日はもう、眠ろうと思った。
これ以上ウシガエルの言葉に耳を貸すと、僕は死んでしまうかもしれないと思った。
許されるすれすれを生きて、許されるすれすれで暮らしたい。明日も。
- ウシガエル
- ゲコゲコ。
- END