- 雨が降っている。
- 男
- 仕事からの帰り道。その女の子は雨の中、傘もささずに立っていた。
近所の高校の制服を着ている。俯いた横顔が魅力的だったが、
この場合、制服姿でない方がありがたかった。その方が幾分、声をかけやすかったかもしれない。彼女のことは心配だが、こんな時代だ、不用意に声をかけるべきではないだろう。
- 女
- (くしゃみをする)
- 男
- いけない、このままでは風邪をひく。多感な時期だ。きっと悩みでもあるのだろう。
青春時代を思い返せば、僕にだって、雨の中傘をささなかった過去は何度かある。
今にして思えばそれは大した悩みではなかったのだけれど、
しかし当時は自分の存在意義が揺らぐほどのハードプロブレムだったことを、
忘れてはならない。
- 女
- たっくんの、馬鹿。
- 男
- なるほど。どうやら「たっくん」とやらが、彼女の悩みのタネのようだ。
とはいえお嬢さん。そこで雨に打たれていても、たっくんの馬鹿さは変わらないのだ。
今はまず、たっくんの馬鹿さはさておき、屋根のある場所に移動するべきなのだと、
おじさんは言いたい。
- 女
- 男なんて…、シャボン玉。
- 男
- 同じことだ。男なんてシャボン玉であるという事実と、
お嬢さんがここで傘をささずに雨に濡れることは、何の関係もないのだ。
大人になれば、きっとわかる。
- 女
- (溜息)
- 男
- 彼女は溜息をついて、スマートフォンを取り出した。
この雨の中、電子機器はまずいだろう。
私は思わず、傘を差し出した。
いきなりの相合傘。彼女は驚いた顔でこちらを見る。
思わず、顔を背けてしまった。これじゃ、不審者じゃないか。
- 女
- あ、もしもし。
- 男
- 彼女は私に構わず、電話をかけはじめた。
- 女
- たっくん、遅いよ。あたし、ずっと待ってる。約束したでしょ。
喧嘩した日は、そう。うん。はじめてキスしてくれた場所で、待ってるから。
- 男
- なんて甘酸っぱいんだろう。思わず、顔がほころんでしまう。
- 女
- あと、さっきからひとりごと言ってる変なおじさんが近くにいるから、早く来てね。
- 男
- 彼女はそう言って、電話を切った。
そう。何を隠そう私には、頭の中で発したモノローグを、
すべて声に出してしまうという癖がある。
- 女
- 変な癖だね。
- 男
- 彼女は笑った。その笑顔は、若い頃の妻に似ている。
- 女
- 奥さん、美人なんだね。
- 男
- 自分で言うな。
- 女
- 傘、ありがとう。
- 男
- せめて、このお嬢さんの宿り木でありたいと思う。
たっくんの馬鹿が来るまでの数分間、しゃぼん玉が壊れて消えるまでの数秒間、
私は宿り木でありたいと思う。それは無視をすることでも、
不用意に声をかけることでもない。電子機器が壊れてしまうからという理由で、
反射的に傘を差しだす程度のことなのだと、私は思う。
- 女
- 傘だけ渡して、あとは颯爽と去るっていうのは?
- 男
- そんなことをしたら、お嬢さんが私のことを好きになってしまう可能性がある。
そうなったら、たっくんに申し訳が立たない。
- 女
- それはないから安心して。
- 男
- 遅いな…。たっくんの馬鹿め…。
- 強まる雨の音。
- 女
- 傘、置いてってくれていいんだよ?
- 男
- まったく…、最近の男は…。
- 女
- ねぇ、聞いてる…?
- ・
- ・
- ・
- 二人はこの街の、数分間限定のモニュメントのように。
- END