- 女
- 夫が「おきにいり」してから三週間が経った。
- 女
- おはよう。起きて。
- 男
- ああ・・
- 女
- 髪が少し濡れてる。雨が降ったの?
- 男
- 夜中に少しね。
- 女
- 冷たくないの?
- 男
- 大丈夫。感覚はほとんどなくなってきたんだ。
- 女
- そう・・
- 男
- 木の中は賑やかでね。おじいちゃんもおばあちゃんも相変わらずでさ。いっつも喧嘩してる。
でも雷雲が来たりするとピタッと静かになるんだ。二人がじっと寄り添ってるのがわかるんだ。
- 女
- 雷が怖いの?
- 男
- もちろん。大雨や台風も。
- 女
- 同化は進んでる?
- 男
- 両足と・・左手。あと背中の半分は同化してる。
右手はほとんど動かないし、口も動かしにくくなったかな。
- 女
- 夫が「おきにいり」を決めたのは一か月前。進行性の病気が重症化し、余命宣告を受けた後だった。
私たちは「おきにいり」のために夫の実家に引っ越すことにした。
- 男
- 僕の体を縛り付けるんだ。そう、ずり落ちないようにきつくね。
- 女
- こう?
- 男
- そうだ。ありがとう。
- 女
- これからどうなるの?
- 男
- これから僕の体はゆっくり木に取り込まれていって、49日後にはほぼ完全に木と同化する。
- 女
- 私はどうすればいい?
- 男
- 嫌ならいいけど・・できる限り、会いに来てほしい。
- 女
- わかった。そうするわ。
- 女
- 夫の生まれた地方では、死者は火葬せずこうして木に同化する。
死期を悟ったものは夫のように木にくくりつけられ、生きたまま木の一部となる。
これを「おきにいり」と呼ぶのだ。木に取り込まれたものは死の苦しみから逃れ、新たな生命を獲得すると信じられている。
- 男
- 雨が降るよ。
- 女
- え?
- 男
- もうすぐ雨が降る。わかるんだ。葉が縮んでるし、根が活発になってきたからね。
- 女
- 本当に木になっていくのね。
- 男
- あぁ。・・君はどうする?
- 女
- なにが?
- 男
- 多分・・ずいぶん先の話だろうけど・・君の命が尽きるとき。
- 女
- そうね・・あなたの家の木にお邪魔させてもらおうかしら。
- 男
- 本当に?
- 女
- ええ。焼かれるよりずっといいわ。楽しそうだし。でも・・・
- 男
- でも?
- 女
- おばあさまとうまくやっていけるかが少し心配ね。
- 男
- 大丈夫さ。僕がついてる。
- 女
- その時はいろいろ教えてね。
- 男
- ああ。・・ねぇ。
- 女
- 何?
- 男
- また目を閉じていいかい?
- 女
- 構わないわ。寝てちょうだい。
- 男
- 寝るのとは少し違うんだ。目を閉じて感じるんだよ。君の呼吸や足音、匂いや温度なんかをね。・・・僕は世界の一部になって・・君を守るよ。・・・・たとえ・・君に愛する人が・・出来ても・・
- 女
- 寝たの?
- 男
- ・・・
- 女
- あ・・・雨。
- 終わり