突然のことだった。昨日、つまり花の金曜日深夜二時半。
務めている印刷会社の飲み会から帰ってきたときだ。
玄関を抜け、リビングに行くと、電気が点いていた。
ああ、起きてたのか。
うん・・・。
台所のシンクの上の蛍光灯だけが点いて、妻がテーブルに座っていた。
どうかしたのか?
ふと妻を見た。髪に少し白髪が混じっている。
最近は仕事が忙しいことを理由に、あまり妻に構ってやれなかったな。
明日の朝、起きたらどこかにでも出かけないか、と誘ってみるか。
そう思いながら、水道から直接水を飲む私に向かって妻が言った。
わたし、たけし軍団に入りたいんです。
・・・ん?
わたし、たけし軍団に入りたいんです。
妻は私より五歳下。今年で結婚十年目。職場内恋愛だった。
付き合っていた当時からずっと私に敬語で話す。
その優しさと温かさが私は好きだった。
わたしたけし軍団に入りたいんです。
子どもは居ない。
二人だけで住むには充分な、でも少し小さなマンションに暮らしている。
もちろん借家だ。あと二年ほど働けば夢のマイホームを買えるんだ。
え、なんて?たけし軍団?
大丈夫?飲み過ぎですか?
台所の水道から流れる水の音がやけに大きく聞こえた。
それはディスカバリーチャンネルで見たナイアガラの滝に似ている。
思考回路の河が洪水だ。
ダム、ダムを用意しなければ。・・・
わたしたけし軍団に入りたいんです。本気です。
ダムは決壊した。
あなた、もしかしてたけし軍団をご存知ないですか?
そんなことはない。男はみんな、一度はたけし軍団にあこがれる。私もそうだった。
そのまんま東が好きだった。だがしかし、まさか妻が、
美智子がたけし軍団にあこがれるなんて思わないじゃないか。
芸名も決めてあるんです。松 たけなめ子。
松 たか子?
松 たけなめ子。あ、でも殿が決めてくれたらなんでもいいとは思って、
美智子、何を冗談を言っているんだ。
私、冗談を言っていません。
急にどうしたんだ。
最近、あなた、あんまり笑ってるところ見ていないし、
私がもしたけし軍団に入れたら、あなたが笑ってくれるかなって思って。
朝までその日は美智子と話した。
これまでの話、これからの話を、たくさん。
妻は、相変わらず、私が愛した人そのままだった。
そして妻も同時に私のことを変わらず愛してくれていることに気づいた。
女性がたけし軍団に入れるかどうかはわからないが、
彼女がこうしたいと思えることが見つかったことは
僕たちにとっていいことだと思う。
そして現在、土曜日の昼、京都の喫茶店にて。
ねえ、もしよかったら、あなたも一緒にたけし軍団に入らない?
大通りを走る車の音だけが、ただ聞こえている。
終わり