- 女
- (咳払い)夫よ。
あなたとともに暮らすようになり、かれこれ 20年。私たちはうまくやってきました。
- 男
- 同感です。
- 女
- 私は電気やさんの販売員。
- 男
- 僕は、小さな会社のサラリーマン。
- 女
- 給料日になったら、レストランで食事する。
- 男
- つつましく暮らしてこれたね。
- 女
- この度、あの子も、家を出ましたし。
- 男
- ちと、寂しいが。
- 女
- では・・・そろそろ・・・次なる土地を選ぼうと思います。
- 男
- 結婚当初の約束だものね。
- 女
- ええ。
- 地図を広げる。
- 女
- このあたりはどうでしょう。
- 男
- ほう。イタリアですか。
- 女
- イタリアです。しかも。
- 男
- ミラノ、ですか。
- 女
- ミラノです!
- 男
- 大胆だなァ。
- 女
- 大胆に行かなくちゃ!人生だもの!
- 男
- それじゃあ、僕は靴職人の弟子になる。
- 女
- お弟子さん?その年で?
- 男
- 何を始めるのにも、遅いはない。僕はいい靴をつくるよ。
- 女
- じゃあ私は・・・小説をかきます。
- 男
- 小説??君が?
- 女
- 恋愛小説。(いばる)
- 男
- 恋愛小説?きみが。
- 女
- はい!
- 男
- まあ。何を始めるのにも、遅いはないからね。
- 女
- それじゃあ、
- ふたり
- 決まり。
- 女
- 出会い方はどうします。
- 男
- それね。ずっと考えていたんだよ。
- 女
- え?(わくわく)どんなの?
- 男
- きたる 2017年、12月 2日。
- 女
- 私の誕生日だ。
- 男
- 君は 50才になる。
イタリア、ミラノ。たったひとりぼっちの誕生日だ。 しかも、知り合いもいない。
誰かに、おめでとうって言ってもらいたいけれど、友人たちは皆夢の中だ。
- 女
- 時差があるものね。
- 男
- 人恋しくて、賑やかなところに君はいく。夜の 8時スカラ座の前だ。
- 女
- スカラ座?
- 男
- 劇場だ。今日もまた、眠れぬ夜の幕があく。
- 女
- お芝居を見るのね。
- 男
- そう。君の座席は Gの5。僕の座席は Gの 8
- 女
- 隣じゃないの?
- 男
- それじゃ出来すぎてるだろ。さあ、幕が上がれば、恋するオペラの始まりだ。
らーらーらー。
(むせる)全編イタリア語なもんで、君はちょっと退屈になる。
- 女
- なりそうよ。
- 男
- 幕がおりて拍手喝采の中、つまんなそうに君は席を立つ。
それで日本語恋しさに、ちいさな声で、歌を歌うんだ。
- 女
- うた?
- 男
- うーん・・・はるの小川とか。
- 女
- オペラの後に? 春の小川?それで?(ちょっと怒ってる)
- 男
- 思わず僕は声をかけちゃうんだ。いい歌ですね。さっきのオペラより断然いい。
- 女
- え?
- 男
- 春の小川。アンコール。もう一度。一緒に。
- 女
- もう一度、一緒に?・・・歌うの?
- 男
- うん。(笑う)僕らは、イタリアの、ミラノの、スカラ座の、オペラのあとで、一緒に、
春の小川を歌うんだよ。それから、僕は、ようやく、君の名前を聞くんだ。
- 女
- そしたら、私は、初めてのふりして、答えるのね。
- 男
- うん。初めてのふりして。
- 女
- そこで初めて、もう一度、私たちは出会うのね。
- 男
- そう。どうだろう。
- 女
- 変なの。でもとっても素敵。
- 男
- それじゃあ、
- ふたり
- 決まり。
- 男
- じゃあ、さようなら。
- 女
- さようなら。
- 男
- いい?忘れないで。誕生日になったら、スカラ座、8時、Gの5だよ。
- 女
- あなたこそ! ちゃんと見つけてね。でないと私大きな声で歌うから。
- 男
- わかった。
- 女
- あのね、ありがとう。
- 男
- うん?
- 女
- もう一度、あなたと恋ができるのね。
- 男
- よろしく。
- 女
- こちらこそ。
- ふたり
- それじゃあ、さようなら。(笑う)