深夜2時、私は鏡の前で歯を磨いていた。
すると背中越しに女がいる。ぎょっとして振り向く。しかし誰もいない。
再び鏡をみるとやはりいる。女が。
こんばんは。
……こんばんは。
診察の予約をしたものですが。
……あの。
ええ。歯のご相談です。歯が痛むんです。どうやら虫歯のようなんです。
……ええ。
診ていただけませんか?
そう言われましても。
女はぱかりと口を開く。口の中は真っ黒である。
これはひどい。
随分長いこと歯を磨いてないものですから。
なぜ磨かないのです?
磨かずに死んでしまったものですから。
……
人は常に何かをやり残して死んでいくんです。
先生は何かやり残したことはありませんか?
……それは、どういうことでしょう。
また明日の深夜2時に参ります。
そう言うと女は鏡の中からいなくなった。私はその日の出来事を夢だと思うことにした。
次の日、私はホテルでマキと会っていた。私は鏡の話をした。
マキ
子供の頃、言われたよね。深夜2時に鏡を見ちゃいけないって。
たぶんそれが頭に残ってたんだ。
マキ
それは本当に夢だったの?
そう思うことにしたんだ。
マキ
今、何時だと思う?
……
マキ
行こうよ、洗面所。
いや、やめておくよ。
マキ
なんだ。つまんない。
そういうの、あまり好きじゃないから。
マキ
じゃあこのスイッチ押していい?
え?
マキ
最近のホテルはすごいんだよ。色んな機能がついてるの。
マキがスイッチを押すと部屋中の壁がゆっくりと動き始めた。
壁が裏返っていく。部屋が鏡で覆われた。
ねぇ。先生。歯が痛むんです。
いつの間にかマキの顔が、あの女の顔になっていた。
鏡の向こうでは女が口をあけている。
私は女に飲み込まれながら、人生でやり残したことについて考えていた。
終わり