- 男
- とめどなく嗚咽が漏れて目の前が突然真っ暗になると、
闇の奥の隅っこで青い光の粒が瞬いた。光の粒がこちら側に近づいてくる。
我慢しきれなかったように粒が大きく膨れだすと光が溢れ闇が行き場を失った。
目の前には学生時代によく遊んだ川のある風景が広がっている。
- 川のせせらぎ。
- 船頭
- 暖かいですね。今年の冬は。
- 男
- ・・・ああ。
- 船頭
- そうでもありませんか?
- 男
- いえ。いつも通り寒いと思いますが。
- 船頭
- そうですか。この川を渡る人には必ず今年の寒さについて聞いているのですが、
皆、寒いという。冬を暖かいなどという私がおかしいのだろうかと
思い悩んでいた今日この頃ではあったのですが、
先日ふとその理由がわかった気がしまして・・・聞きたい?
- 男
- ・・・ええ。
- 船頭
- 私、実は今はこうやって船頭などしておりますが、
ついこないだまで近年稀にみる寒波を記録した冬のニューヨークにいたものですから、もしかしたら私の身体がその寒さに慣れてしまって
日本の冬を寒くないと思い込んでいるのかもしれません。
- 男
- すいません。最初、なんとおっしゃいました?センドウ?
- 船頭
- そう。船頭。そこにある小舟を使ってっですね。
こちらの岸から向こう岸へお客を運ぶ人のことですよ。
- 男
- ・・・
- 船頭
- で、渡るんですか?向こうの岸へ。
- 男
- え?
- 船頭
- 渡らないんですか?ではどこへ?
- 男
- ・・・いえ。渡ります。
- 船頭
- では600円になります。
- 男
- ああ・・・はい。
- 男はごそごそと財布を出すがお金が入ってない。
- 男
- ああ・・・
- 船頭
- ない。
- 男
- そうですね・・・
- 船頭
- あなた、600円も渡してもらえなかったんですね。
- 男
- え?
- 船頭
- 仕方ない。服、脱いでください。
- 男
- え?なんで?
- 船頭
- あなたの服を古着屋で売る事にします。失礼。
- 船頭は無理矢理男の服をはぎ取る。
- 男
- おい!やめ・・・やめろ!ああ・・・ちょっと・・・ああ!
- 船頭
- まったく人の服を脱がしては快楽を貪っていたくせに
自分が脱がされるのは嫌だとは随分勝手ですね。
- 男
- 船頭はもの凄い力で俺の服をはぎ取っていく。俺はあっという間に素っ裸になった。
- 船頭
- このパンツ、黄ばんでますよ、漏らしたんですか。
- 男
- 寒い!おまえ、どういうつもりだ!
- 船頭
- こんな汚いパンツは売れませんね。他は・・・まぁ600円にはなるでしょう。
- 男
- 頼む。服を返してくれ。
- 船頭
- それはできません。これがなきゃ船には乗れませんから。
- 男
- 誰がおまえの船なんかに!
- 船頭
- ではどこへ行くんですか?あなたが行けるのは向こう岸だけですよ。
- 男
- ・・・どこだよここは。
- 船頭
- あなたに選択の余地はないのです。
- 男
- 船頭は俺の粟立った身体を軽々持ち上げると無造作に小舟に放り込んだ。
- どす!と音がする。
- 男
- 小舟の床はじんわりと湿っていて、そのあまりの冷たさに悲鳴を上げた。
俺はどうすることもできず、ただ身体を胎児のように丸めながら小舟で震えている。
- 船頭
- では、出発します。
- 小舟が岸を離れる音。
- 男
- 寒さでがちがちに凝り固まった頭の中にコンクリートの湿った床で
何人もの女が凍えている映像が浮かんできた。俺は随分それを楽しんだ気がする。
しかし今、俺はまったく楽しくない。寒い。寒い。寒い。寒い・・・
- 船頭
- 寒いですか。そうですか。寒いでしょう。
でもね。ニューヨークの冬は本当に寒かったんですよ。行くなら夏をおすすめします。空から溢れ出す陽光を浴びながらセントラルパークの芝生の上でお昼寝でも・・・
- 終わり。