- 田舎のとある一軒家の前に車が止まる。
車から降りた男は玄関の立て付けが悪い引き戸を開けて家に入る。
- 男
- かあさん?かあさん、ただいま。帰ったよ
- 男が部屋に入ると奥の台所から年老いた母が出てくる。
- 母
- お帰りノリオ
- 男
- かあさん。駄目だろ、玄関の鍵かけとかなきゃ
- 母
- ああ、かかってなかったかい?
- 男
- ちゃんと確認しないと。いくら田舎だからって最近は物騒なんだから
- 母
- 久しぶりだねぇ。元気にしてた?
- 男
- 久しぶりってつい先月も来ただろ。畑の手伝いしに
- 母
- ああ、そうだったそうだった。で?今日は、ショウタ君は一緒じゃないの?
- 男
- ショウタは去年からアメリカの大学に留学してるだろ
- 母
- あら嫌だ。そうだったっけねぇ
- 男
- おいおい、大丈夫かよ
- 母
- ほら、手、洗っといでノリオ。ごはんにするから。ちゃんと石けんつけて洗うんだよ
- 男
- わかったって。子どもじゃないんだから
- 母
- 私にとったらいつまでもあんたは子ども
- 男
- 全く口だけは達者なんだから
- 男は台所の洗い場で手を洗い、母は夕飯をちゃぶ台に並べる。
- 男
- やっぱりここの水は冷たいなぁ
- 母
- タオル、そこにかけてるの使いなさい。ああ、いい具合にお魚が焼けたわ
- 男
- ・・なぁ、かあさん。こないだの話、考えてくれた?
- 母
- 気持ちだけ、いただいておきますよ
- 男
- かあさん、真面目に考えておいてくれって言っただろ
- 母
- 考えたとも。でもやっぱり私には田舎暮らしが性に合ってるから
- 男
- そんなこと言ってて急に倒れたりでもしたらどうすんの
- 母
- 私はまだまだ元気ですよ。はい、座って『いただきます』は?
- 男
- ・・いただきます
- 母
- たんとお上がり
- 男
- もう一度考え直してみてよ。玄関の鍵だってかけ忘れてるしさ
- 母
- はいはい。それ熱いから気をつけてね
- 男
- ズズズ(汁を吸う)熱っ
- 母
- ほら、だから言ったじゃないの
- 男
- 俺が前に来たのがいつかも覚えてないし
- 母
- これも冷める前に食べちゃいなさい
- 男
- それに、ショウタの留学のことも忘れてる。あ、醤油取って
- 母
- 自分の母親を耄碌ばあさんみたいに言わないの
- 男
- みたいじゃなくて実際そうだから言ってるんだって
- 母
- ノリオ。ご飯おかわりあるわよ
- 男
- ああ・・ん?この献立って
- 母
- 焼き魚に筑前煮に豚汁に玉子焼き
- 男
- 俺の好きなもの・・覚えてたんだ
- 母
- ちゃんと覚えてますよ。はい、お茶碗貸して
- 男
- え?ああ、はい」
- 母
- よいこらしょっと
- 母はご飯を装うために茶碗を受け取り、立つ。
- 男
- ・・かなわないなぁ
- 母が戻ってくる。
- 母
- 食後には柿を剥きますからね。ほら、あんたの大好物」
- END