どこかの地方都市にある市民ホール。
その舞台袖。
出番を待つのは「熟年」と呼ばれるひと組の夫婦。
(ぶつぶつと台詞を言っている。かなりぎこちない)えー。マイ、毎度、馬鹿馬鹿しいお笑いを一席。なんて言いますけれどもね。やってるほうは馬鹿馬鹿しいなんてすこしも思っておりません! 笑ってほしい。どうしても。笑いさえいただければもうボカァ死んでもいい!
(囁き声で)あなた
そんなわけでどうかひとつ! 『夫婦素人漫才アワード2014。北関東大会』にお越しの皆々様! どうかこの熟年夫婦にあたたかい笑いを!
あなた! 声!
え?
大きいですよぉ! お客さんに聞こえたらどうするんですか
おれやっぱり楽屋に戻る
は?
こんなところにいたくない
馬鹿言わないでください。『すたっふ』のひとに言われたでしょ。23番さんは舞台袖にいらしてくださいねって。お手洗いにももう行けませんよって
おれら23番か
バッジに書いてありますよホラ
いま何番だ
22番ですって。あらもう次だわ
おえ
ちょっと! (背中さすって)ああ、ああ、もう
緊張する
そりゃそうですよ。はじめてのことだもの
おまえ。落ちついてるな
そうですか?
肝っ玉母ちゃんなんて呼ばれてるだけはある。すごいよおまえは。おれの女房は
どうも
よく見りゃ顔も首もいい具合にたるんでる。どこから見ても立派な肝っ玉母ちゃんだ、なあ!
誰のせいだと思ってるんですか! あなたみたいなひょろひょろ亭主に三十年も付き添ってりゃね、顔だっておなかだってたるみますよ!
いや腹のことは言ってな……
だいたいあなたというひとはね。威勢のいいのは最初だけ。いざことを起こすとなると今みたいにうじうじうじうじ、みっともなくて
と、客席からどっと笑い声。
おい。どうする。うけてるぞ。22番!
(夫の台詞にかぶせて)マサコの受験のときも、カオリの結婚のときも、たいへんなことはぜんぶわたしに任せて、あなたはなんにもしてくれない。子だくさんがいいなんて言ったのもあなたでしたよ。それで毎日毎日、家族みんなのパンツを洗って干して取り込んで畳んで洗って干して、それがわたしの人生
ネタ。考え直さないか? 3丁目の楢崎さんは『面白い~』って言ってくれたけど、あのひと飼ってる犬が屁こいても入れ歯が飛ぶくらい笑うだろ
あなた
やっぱり最初に考えてたやつのほうが
あなた!
ハイ!
――子どもたちに、感謝しなきゃいけませんね
え?
夫婦になって三十年。新しいことなんてもうなんにもないと思ってたのに、こうしてはじめてのことをいっしょにやれるんですから
カズオが勝手に応募したんだ
どうせなら、旅行でもプレゼントしてくれたらいいのに
あいつはそういう気の利いたことができないんだ
あなたと一緒ですよ
なに?
一緒です
……へんなこと言うぞ
どうぞ。いつもへんなことしか言わないくせに
ここから見るあの、舞台ってさ、明るいな
明るいですねぇ
ここ、なんていうんだっけ
舞台袖
舞台袖は、暗い
ええ
おれたち。赤ん坊みたいだな。これから外の、明るい、こわい、ひとがいっぱいいるところに出ていく
じゃあ、あたしたちは双子の赤ちゃんですか
夫婦は双子だ
え?
なんでもない!
夫、やっぱりガチガチに緊張している。
一方、妻はそんな夫に対しては百戦錬磨であるからして。
……手、つなぎましょうか
……ああ
それから一緒に、おおーきな産声あげて、出ていきましょう
おう
客席からふたりを呼ぶ拍手が聴こえてくる。