絵描きの女が絵を描いている。
女の足下には首に小さな鈴をつけた猫が一匹、礼儀正しく座っている。
どう思う?
そうですね。うん、いいと思いますよ
そうかしら
ご納得がいかないようですね
なにかが足らないの
私の目から見れば、とても美しい風景画ですが
綺麗なだけならどこにでもあるもの
なるほど。そうですね、強いて言うのならば少し色味が足りないのかも
色?あなた、猫なのに色がわかるの?
猫だからですよ。識別できるのは色味の強いものくらいなので。この絵にはハッキリとした色がない
じゃあ、この絵には何色がふさわしいのかしら
赤なんてどうです。赤い花。とても情熱的だ
だめよ、赤は。脈打つ色だもの。この絵に音はいらないの
では青は?青い海。静かだがとても偉大だ
青もだめ。未知なるものは不安になるもの
やれやれ、では緑ならば?緑の草原。柔らかく手で触れることもできる
緑はもっとだめ。簡単に触れるのは危険だわ。それは毒の色かもしれないのに
オレンジ。オレンジの実ならどうです?あたたかく甘い果実の色だ
そうね・・でもオレンジは夕日の色でしょ。寂しすぎるわ
お手上げだ。私に識別できる色はそれくらいです
いっそのこと、黒く塗りつぶしてしまおうかしら
やめておきなさい。塗りつぶしたとて描いた経過は消えない
なかったことにならない?
むしろ黒の下に埋もれた景色は一生残るでしょう
なら、もう捨ててしまおうかしら
捨てればきっと惜しくなりますよ
捨てたことが無いから分からないわ
それは幸せなことです
知らないということは幸せ?
時と場合によりますが知らない幸せもありますね
でも、ゼロからやり直す可能性を見逃すことにはならない?
捨ててもゼロにはなりません。何故ならそこにその絵が置かれていた事実は消えないから
描き足すことも描き直すこともできないなんて
いいんじゃないですか。永遠に完成しない絵がこの世にひとつくらいあったって
でもこの絵は、あともう一息で完成するのよ、きっと
猫は小さくあくびをする。
失礼。ちょっと夜道を散歩でもしてきます。ゆっくりお考えなさい。幸い時間は飽きる程ある
猫は窓を開け、風が部屋に入る。猫の首の鈴がチリンと鳴る。
待って
・・なにか?
月。月だわ
月?
カーテンをあけて
猫はカーテンを開ける。絵に月の光があたる。
月の光。とても繊細で何ものにもかえられない色
なるほど。だがこれは絵には描けない
雲が
雲で月の光が遮られてしまう。
おや、残念。せっかく完成しかけたのに
・・わたしも散歩に行こうかしら。それで、また次に月が出るのを待てばいい
いい考えですね。幸い時間は
飽きる程ある」
END