- 男
- それは黄昏時だった。
- 信号が青に変わって、人々が一斉に歩き出す。
スクランブル交差点で、人々がスクランブルする。
- 女
- どうして泣けるんでしょうね。
- 男
- 足が棒になるほど歩き回った営業帰りに、
横断歩道渡って駅に行くことさえ億劫で繰り返し変わる信号をぼんやり見ていた僕は、
- 女
- どうして泣けちゃうんだろう。
- 男
- その女と目があった。
- 女
- あ、独り言です。
- 男
- あ、ああ…
- 女
- 夕日がビルの間に隠れていくのを見ると、泣けません?
- 男
- …どう、だろう…考えたことなかった、けど…
- 女
- あ、独り言です。
- 男
- あ、はぁ…
- 女
- 向こうの空がちょっとずつ黒くなっていくのを見ると、泣けません?
- 男
- あ、え、あ、どう、だろ…
- 女
- あ、
- 男・女
- 独り言、
- 男
- ですよね…
- 女
- はい。あなたもどうぞ。
- 男
- え、はい!?
- 女
- 独り言、言いたいなら。どうぞ。
- 男
- あ、えと、
- 女
- スクランブル交差点は独り言の宝庫ですものね。
- 男
- …そうなんですか?
- 女
- だって他にどこで言うんですか。
- 男
- いや、どこでも、言える、ような…
- 女
- 人がいっぱいいるのに自分ひとりになれるのは、雑踏の中って決まってるじゃないですか。
- 男
- …そう、か…?
- 女
- ああ、今日が終わっちゃうなぁ。
- 男
- あの…
- 女
- 独り言ですけど。
- 男
- あの、ね、僕が聞いてたら、独り言にならないんじゃ…
- 女
- はい。だから聞き流してください。見ず知らずの女の戯言だと。
- 男
- でも、聞こえちゃうから。
- 女
- あなた私の独り言を言う権利を侵害するんですか?
- 男
- いえ、そんなつもりは。
- 女
- じゃ、渡ってください青信号。
- 男
- あ…はい…
- 男は、女に背をむけて、青信号を渡ろうとする。
が。
- 女
- いーつまでもーたえるーことなくーとーもだちでーいよおー
きょーおのひはーさよおーなあらーまたーあうー
- 女が泣きながら歌うのを耳にして、
カツっと踵を返して、
- 男
- あの!
- 女のところへ戻る。
- 女
- ひまでぇ…
- 男
- あの、泣けるのは、
- 女
- え?
- 男
- 黄昏泣きってやつじゃないでしょうか。
- 女
- …なにそれ。
- 男
- あ、赤ん坊の、話ですけど。
- 女
- アカンボがなんで泣くのよ?
- 男
- いや、それ原因とか、分かんないですけど…夜が、来るからなじゃないでしょうかね。
- 女
- 夜…ああ、そうかぁ…夜は、暗くて怖いもんね。
これから死んじゃうような気分になっちゃうのかな。だから私も、こんなに泣けるのかな…
- 女は、おいおい泣いた。
- 男
- あのう。
- 女
- うぇ…?
- 男
- 夜は、明けるもんなんですよ。夜が来て死んじゃっても、
朝が来たら、また生まれるってことじゃないで、しょう、か…いや、分かんないですけど。
- 女
- …それ独り言?
- 男
- …はい。独り言です。
- スクランブル交差点には、
誰かに聞いて欲しい独り言が
スクランブルしている。
- おしまい