- 僕
- マキという女から電話がかかってくるようになって半年がたつ。
- マキ
- 携帯電話っていうのはね。人類がもたらした災いなんだから。
いずれ人類は携帯電話のせいで滅びると思う。朝の通勤電車を見てみなさいよ。10人中9人は俯いて携帯電話を弄ってるんだから。
- 僕
- それと人類の存亡と何が関係があるの。
- マキ
- 携帯電話は麻薬なのよ。一度使っちゃうとそこから決して逃れることができない。ジャンキーが最後にどうなるか知ってる?
体中の穴という穴から血を拭きだして公衆便所で死ぬのよ。
- 僕
- 携帯電話が人体に影響を及ぼすわけ。
- マキ
- そう。だってあれ。町中を飛び交う電波を拾ってるわけよ。
人工的なものがあなたの身体に纏わりついてるんだから。
携帯電話を10年間胸ポケットにしまっている人といない人ではハートアタックの確率だって全然違うんだから。
- 僕
- 誰がそんなこと言ってたんだ。
- マキ
- アメリカの有名な人。それからその人、こんなことも言ってたわ。
今の携帯電話の電子ネットワークのどこかにウィルスが潜んでるって。
- 僕
- ウィルス?
- マキ
- そう。そのウィルスは人格を持っていて、そのウィルスが電話をしてきた途端、受け手の脳はそのウィルスで書き換えられてしまうの。
つまり人格を乗っ取られてしまう。
- 僕
- それって都市伝説だろ。
- マキ
- やっぱり携帯電話なんて持つべきじゃないのよ。私は公衆電話で十分。
私、この空間好きよ。
どこのボックスでも私が入った途端、そこが私の空間になるんだから。
- 僕
- 君は好きな時に僕に電話をかけることができる。
でも僕はいつでも君に電話をすることができない。不公平だ。
- マキ
- 携帯電話がない時代を思い出しなさい。
携帯電話なんてなくても案外生きていけるんだから。
- 僕
- ねぇ。そろそろ君に会いたい。僕は君の名前も顔も知らない。
- マキ
- きっとがっかりすると思うわ。
- 僕
- やっぱり君は僕の姉さんじゃないのか。
とても良く似てるんだ。昔いなくなっちゃった姉さんの声に。
- マキ
- 私はあなたを弟に持った覚えはないわ。
- 僕
- お願いだ、どうしても会いたい。どこ?どこのボックスにいるの?
- マキ
- 私に会ってどうしようっていうの。
- 僕
- 確かめる。僕の姉さんかそうじゃないか。
- マキ
- 確かめた後は?
- 僕
- 後?
- マキ
- そう。仮に私があなたのお姉さんだったら。
- 僕
- ・・・また一緒に暮らすさ。
- マキ
- ・・・そう。
- 僕
- 姉さんなの?
- マキ
- 花束がね。置かれてるの。
- 僕
- 花束?
- マキ
- そう。赤やら青やら黄色やら・・・(ここから僕とマキの声がかぶさってくる)
虹のような花束。その花束がある場所に僕はいるよ。
- 僕
- 僕の人格を乗っ取ってしまうと、マキは新しい服を体になじませるように大きく体を伸ばし、そのまま部屋を出て行った。
僕の人格は確かにマキに奪われてしまったけれど、
脳のほんの片隅には僕の意識の小部屋があって、
僕は小窓から覗き込むように世界を見ている。
やはりマキは僕の姉さんだったのだろうか。
この部屋は僕と姉が幼いころ暮らした部屋にとてもよく似ていた。
牛乳瓶に差し込まれた花束。
差し込む虹。
夏の花の匂いがする。
- 終わり。