- まさかりを持った女が立っている。彼女の足下には<なにか>が転がっている。
女のまえには輪郭のどこかぼやけた男がいる。
- 女
- これからは真っ当な人生を歩もうと思うの
- 男
- 真っ当って?
- 女
- まず夜更かしはしない
- 男
- 君が一番楽しみにしてる夜中の海外ドラマを見逃すなんてね
- 女
- 睡眠時間はきちんと取らなきゃ
- 男
- それはいいことだと思うよ
- 女
- 朝は日の出とともに目覚めるわ
- 男
- 目覚ましが鳴っても三十分は布団のなかでダラダラする君が?
- 女
- 食事は一日三食食べる
- 男
- 朝食なんて今まで食べたためしがないのに
- 女
- 一日のスケジュールは絶対に守るわ
- 男
- 無理だよ、君はどっちかっていうとルーズだもの
- 女
- 朝からちゃんと仕事して夕方には終えるのよ
- 男
- こないだまでフレックスタイム制を賞賛してたのに?
- 女
- 仕事を終えたら読書をするわ
- 男
- 君、雑誌以外の本なんて持ってたっけ
- 女
- お酒も飲むのはやめなくっちゃ
- 男
- つい昨日ビールをひとケース買ったばかりだよ
- 女
- 長電話もしない
- 男
- それは電話代が浮いて大助かりだ
- 女
- お化粧したり着飾るのも時間の無駄だと思うの
- 男
- 前から言おうと思ってたんだけど君のパンダ目はやり過ぎかもね
- 女
- もっと心の休まる時間を持つようにするわ
- 男
- 確かに君はゆとりがなくなると、時々かっとなるところがあるから
- 女
- たまの休みには散歩でもしようかしら
- 男
- 君って休みの日=デパートで買い物をする日と勘違いしてるんだと今まで思ってた
- 女
- 川の堀の向こう側に並んだ並木の葉っぱをみて季節の変化を感じるのよ
- 男
- そいつは詩人だね
- 女
- そうかしら。とても真っ当だと思うけど
- 男
- ところで君が手に持ってるのってなに?
- 女
- まさかり
- 男
- ところで君の足下にあるのはなに?
- 女
- それは言えないわ
- 男
- ところで俺、ちょっと浮いてない?
- 女
- そうね、二十センチくらい
- 男
- なんかちょっと体が透けて見える気がするんだけど
- 女
- あなたの陰が薄いのはもとからよ
- 男
- ひどいなそれ
- 女
- 冗談よ
- 男
- なんだ冗談か
- 女
- ところで今日は何月何日か知ってる?
- 男
- 今日?
- 女
- そう今日
- 男
- 九月二十九日だね
- 女
- そうなの
- 男
- なにが?
- 女
- だから
- 男
- なにが、だから?
- 女
- つまりは、くにく(苦肉、九二九)の策ってわけなのよ
- 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。
やがて鉄格子のガチャンと閉まる音がする。
- END