病院の一室。
優し気な医師が身なりの良い上品な雰囲気の婦人の問診をしている。
医師
なるほど。で、その症状はいつ頃から?
婦人
物心ついた頃からでしょうか。わたしには余りにも自然なことでしたので、誰もがこうだと幼い頃は思っていたのです
医師
どうして、気づいたんですか?それがその・・他人と違うと?
婦人
それは私がちょうど10才の誕生日を迎えた日の出来事です。当時一番の仲良しだったアンヌという女の子が、私のためにケーキをつくってくれたのです。
たっぷりの生クリームに赤い苺がのった、それはそれは大きなバースデーケーキでした
医師
ほぅ、で・・それが?
婦人
そうなんです。私にはそのケーキが見えませんでした。ええ、これはあのときに一緒にいた別のお友達が教えてくれたケーキの見た目や形なんです。私にはせっかくアンヌがつくってくれたケーキが見えなかった
医師
見えないとは、具体的にどういうかんじですか?
婦人
そこだけが切り取られた様に、ぽっかりと空いているんです
医師
ブラックホールみたいに?
婦人
いえ・・むしろ光りがそこから湧き出ているかのように真っ白に
医師
なるほど
婦人
それまでにも、私が大事にしていたチューリップの鉢植えを落として割ってしまったときに頭を撫でて慰めてくれた担任の先生の顔や、熱が出たとき学校まで迎えに来て手を引いて帰ってくれたその母の手が、見えないことがありました。
勿論、目医者にも何度か行きましたわ。でも、特に異常は見当たりませんでした
医師
それで、そう思うに至ったと
婦人
はい。わかったんです。私が見えなくなるもの、それは<真実>だと
医師
真の愛や優しさに触れたときだけ、それが目映くて見えなくなる。それはロマンティクな症状ですね。(微笑みながら)あなたは・・そうですね、ちょっとだけ他の人よりも感受性が高いんですな。大丈夫、規則正しい生活と少しだけ薬という医学の力をかりればすぐによくなりますよ
婦人
先生はなにもわかってらっしゃらないんですわ(呟き声は医師にはきこえない)
医師
睡眠は?しっかりとれていますか?あと、食事は?ふむ、見たところ少し痩せていらっしゃいますね。少量でも食べたほうがいいですよ。
栄養剤もだしときましょう
婦人
先生はなにもわかってらっしゃらないんですわ(今度ははっきりと)
医師
え?なんです?
婦人
問題は見えないことではないんです
医師
見えないことではない?では・・
婦人
違うんです。そう、見えないんではなくて・・最近見え過ぎて困っているんです。
大人になるにつれ、私の周りには見えないものが少なくなってしまいました。
偽りの笑顔、偽りの優しさ。そういうものが今度ははっきりと見え過ぎるようになってしまったのです。世の中見たいものはなかなか見れないのに、見えなくてもいいものはよく見えるんですね。ねぇ、先生。その証拠に先生のそのお顔、目が痛いくらいに、くっきりと見えますわ
END