- どこにでもあるようなマンションの一室。平凡な家庭。
夫がTVを見て、妻は週刊誌を読んでいる。ありふれた日常の光景。
- 妻
- ねぇ、あなた。また現れたんですって
- 夫
- ふぁああ?(あくびまじりの返答)
- 妻
- 情けない声ねぇ。お父さんもちょっとは見習ったら?
- 夫
- なにを?
- 妻
- これよこれ、週刊誌に載ってるの
- 夫
- ああ、いまTVでもやってるよ。<謎の中年サラリーマン、美人女銀行強盗を撃退!現代社会における正義のヒーロー!>
- 妻
- (週刊誌を読みながら)拳法みたいな技で立ち向かうんですって。よれたグレーのスーツに、顔は花粉症対策みたいなマスクで覆われてるそうよ
- 夫
- 今年に入ってもう4度目くらいだろ。このサラリーマン対女強盗?
- 妻
- 結局毎回、女強盗は何も盗らずに逃走しちゃうみたいね
- 夫
- 会社でも噂になってたよ。見た女子社員がいたらしくてさ。もの凄いスピードで赤いママチャリをこいで逃げるらしい。自転車で逃げおおせるなんてよっぽど脚力に自信のある奴なんだな
- 妻
- あ!そういえば、あなたまたスーツの袖、破れてたわよ。しょっちゅう繕う私の身にもなってくださいよね
- 夫
- あ・・ああ。
- しばしの無言。
- 夫
- にしても赤いママチャリだなんてな
- 妻
- なにか可笑しい?
- 夫
- いや、美人女銀行強盗だろ。真っ赤なスポーツカーくらい乗り回して欲しいよな。なんでも美人をつけりゃセンセーショナルな事件になるとでも思ってんのかね
- 妻
- 馬鹿ね、あなた。本当に美人がスポーツカーなんて乗り回した日には目立って仕方ないわよ
- 夫
- 本当に美人なのかねぇ
- 妻
- 価値観は人それぞれでしょ。そんな女性が好みの男もいるってことよ
- 夫
- あ!そういやお前、また自転車パンクしてたぞ。あとで、たばこ買いに行こうと思ったのに
- 妻
- え・・ええ。
- またもや無言。やかんのお湯が湧く音。
- 妻
- いけない。やかん火にかけっぱなしだったわ。コーヒーでいい?
- 夫
- ああ・・ふぁぁぁあ(あくび)
- 妻
- あなた最近疲れてるんじゃない?あくびばっかり
- 夫
- そんなことないさ・・まだまだ負けられないからね(ぼそっと呟く)
- 妻
- ねぇねぇ、お隣りの滝沢さん、またあれよあれ。奥さんに今朝ゴミ捨て場で会ったんだけど言ってたわ。『腹立つから今日は日の丸弁当にしてやった』って
- 夫
- 滝沢さん、うっかりしてるからなぁ。どうせまた記念日を忘れたとかだろ。
まぁ喧嘩するほど仲がいいっていうし、ここまで毎回だと一種のコミュニケーションだよな
- 妻
- そうね・・うちもね(ぼそっと呟く)
- 夫
- あ!おい、これまた位置かえただろ!俺の表彰状より、お前のトロフィーの方が前に飾ってある!
- 妻
- いいじゃない。私の400mリレー国体記録の方が、あなたの空手県大会出場よりダントツ上なんだから
- 妻はコーヒーを入れる。
- 夫
- はっくしょい(くしゃみ)あー
- 妻
- それ、治らないわね。マスク買いだめしといたから・・はい、コーヒー
- 夫
- おい、そういや明日はなにしてるんだ?
- 妻
- ちょっと隣町に用事があって。銀行に行くの
- 夫
- ・・そうか
- 妻
- 明日はグレーのスーツ着てく?
- 夫
- そうだな
- END