- ハカセと呼ばれた女性
- 今日、お兄ちゃんが帰って来る。あれから10年の月日が経つ。 面会も許されないまま、10年。私は、胸の奥に焼き付い たあの時の事を、今も忘れていない。マンホールで暮らしていた10年前の あの日々を。
- とある国。マンホールに住む子供達が、マンホール内部の熱管をたどり、ボイラー室に入り込む。リーダーと呼ばれる男の子と、その妹で、博士と呼ばれる女の子の話。
- リーダー
- 本当だ!ハカセの言う通りだ!
- ハカセ
- うん!本で読んだの。熱パイプの中を通っているのは、沸騰した水。その 水を沸騰させるのは、ボイラー室と呼ばれるこの場所だって。
- リーダー
- 知らなかった。マンホールの中で暮らして、5年経つけど、さすが、ハカセ!本好 き!
- ハカセ
- お兄ちゃんが、ロケットを作ろう何て言うから、思い出したの。
- リーダー
- お兄ちゃんじゃないだろう。
- ハカセ
- あっ、ごめん。リーダー。
- リーダー
- うん。まあ、2人の時はいいんだけど…。ボイラー室かあ。
- ハカセ
- リーダーのいうような、ロケットを作れるかどうか分からないけど、捨ててあった科学雑誌に、熱を利用して飛ばすロケットの事 が書いてあったの。その理論を利用すれば…。
- リーダー
- うん。作ろう。皆が乗れるロケットを!
- ハカセ
- 皆…乗れるロケット…作れるかどうか…。
- リーダー
- 作れるさ。
- ハカセ
- ロケットを飛ばして何をするの?
- リーダー
- ほら、シジンの言ってた事覚えているかい。
- ハカセ
- ああ!あの小さい子。詩を朗読する女の子。何て言ってたの?
- リーダー
- 青き空。青き空の元に私は生まれた。
美しい光り輝く星の結晶が闇を彩り、オオカミの鳴き声がこだまする。 白い雪。雪の振る大地の上に私は生まれた。
美しい光り輝く雪の結晶が大地を彩り、ヤクの声がこだまする。
宇宙の向こうでは、私達が生まれた事を喜ぶ声がする。
宇宙から、誰もが平和に暮らせるようにと祈りに似た雨が降り注ぐ。
…あとは忘れたけど、そんなん。
- ハカセ
- リーダーは、宇宙の向こうに行こうと思っているのね?
- リーダー
- ああ。なんだろ、宇宙に行けば、何でも出来るような気がするんだ。毎晩 毎晩夜空を見上げて暮らして来ただろう。
- ハカセ
- まあるい。
- リーダー
- そう、マンホールのかたちに切り取られた、まあるい夜空。その上には宇 宙がある。あそこに行けばきっと。
- ハカセ
- リーダー。宇宙は無重力だって書いてあった。
- リーダー
- 無重力?なんだ?
- ハカセ
- 分からない。
- リーダー
- 無責任ではないか。無重力。なんか力が、何重にもあるって感じだな。
- ハカセ
- うん。
- リーダー
- いいか、このボイラー室を占拠して、何としてでもロケットを作る!そう、 マンホール•ロケットだ。マンホール•ロケットを作って、皆で宇宙に行こ う!シジンも乗せよう。
- ハカセ
- うん。リーダー、きっと成功するよ。うん。ようし、やるぞー!
- あれから10年の時が経つ。
- ハカセと呼ばれた女性
- お兄ちゃん。マンホール•ロケットは、大爆発を起こしたんだよ。街中の熱パイプが止まって、世界中に知れ渡ったんだよ。マンホールに住む 子供達が沢山居るって。皆、施設に送られたりして、生き残ったんだよ。1 0年間、何も知らされていないかな?お兄ちゃん。ロケットに乗り込めな かったお兄ちゃん。吹っ飛ばされて、気を失っている所を、警察に捕まって しまったお兄ちゃん。テロリストとして捕まってしまった、お兄ちゃん。… シジンの詩の後半はこう続くんだよ。
- ハカセと呼ばれた女性
- そして、すべての不幸を背負って、私達はマンホールで暮らした。
すべての罪を背負って、私達はマンホールで暮らした。
マンホールは満天の空をまあるく切り出した。
マンホールは角張った人生をまあるく切り出した。
- ハカセと呼ばれた女性
- お帰りなさい、お兄ちゃん。リーダー。
- おしまい