- 女
- グレープマン、それは私がその男につけた名前。
- 自動販売機へお金を入れる音。
- 女
- 電車の乗り継ぎ駅で、その男に気がついたのは少し涼しくなった夏の終わり。
- ゴトンとその飲み物がはきだされる。
- 女
- 男は、駅のホームに設置された自動販売機で、毎朝グレープ味の炭酸飲料を買い、その場で飲み干すのである。なのでグレープマンだ。服装はスーツ。横幅の広いむっちりとした肉付きで、プロレスラーのような印象。
- ゴキュゴキュと喉を流れる音。
- 女
- 幼い頃、炭酸のジュースは虫歯になるから飲んではイケないと、神経過敏な母からキツク禁止されていた。それは大きくなってからも、見えない呪縛となって私を支配している。
- グレープマン
- 「ぷはぁ!!」
- 女
- 今朝も豪快な飲みっぷり。そんなの毎日飲んでたら虫歯になりますよ、と、もしも話しかけたらどんな反応を示すだろう。
- グレープマン
- 「ははは。ちゃんと歯磨きさえすれば大丈夫さ。君も飲んでみろよ!」
- 女
- ないない、ありえない。それにしても、どうして朝から炭酸なのか・・・朝ご飯の代わり?宴会芸の稽古?荒行、なんの?その自動販売機には、他の炭酸飲料も売られている。なぜグレープ味のそれオンリーなのか、毎朝、毎日・・・。
- グレープマン
- 「あ、どうぞ」
- 女
- 気付かれた。グレープマンは自動販売機の前を私にゆずった。自動販売機と向き合いながら、思惑がグルグルと巡る。まずは、私もグレープマンと同じものを買い、親近感をもたせ、それとなく事情を聞きだしてみようか・・・でも私、飲めるのかな・・・。
- グレープマン
- 「小銭、ないんですか?」
- 女
- 「え?」
- グレープマン
- 「さっき釣り銭切れのランプがついてたから」
- 女
- 「あ、ああ、大丈夫です。ほんと大丈夫ですから」
- グレープマン
- 「あの、」
- 女
- 逃げてしまった。ものすごく挙動不審だったに違いない。しかも顔、覚えられちゃったよな。しばらくは、あの付近には近寄れない。グレープマンを観るのが、朝の楽しみだったというのに残念だ。
- グレープマン
- 「ブドウ糖が一番多く含まれている炭酸ジュース」
- 女
- というのを、インターネットの記事でみつけた。グレープマンの観察ができなくなってから、気になって色々と調べた。懸賞の応募があるのでは?とか、プロレスラーで、そういう人が居ないかも検索した。製品開発に携わる人の可能性もあるかと、メーカーの所在地を調べてみた。さっきの、
- グレープマン
- 「ブドウ糖が一番多く含まれている炭酸ジュース」
- 女
- という記事には、低血糖に陥る患者さんの為に、常備している病院もある、とも書かれていた。グレープマンももしかしたら、好きで飲んでるわけじゃないのかもしれない・・・。
- ゴキュゴキュと喉を流れる音。
- 女
- 相変わらずいい飲みっぷり。ほとぼりが冷めた頃、私は再びあの自動販売機のそばへもどって来た。
- グレープマン
- 「あ!」
- 女
- グレープマンは私を見つけると、幅広の身体をひらりひらりと巧みに使い、電車を待つ人々の間をすりぬけ、私のそばへやってきた。なになになんで?
- グレープマン
- 「これ落し物。二週間ほど前、あそこの自販機の前で。あん時も追いかけたんだけど。」
- 女
- それは、母がくれたお守りに付いている鈴だった。落っことしたことも気づいてなかった鈴・・・もう、いいかな・・・。
- グレープマン
- 「え?」
- ゴトンとその飲み物がはきだされる音。
- 女
- 結局、グレープマンに何も聞けはしなかった。けれど、鈴を返してもらった日、私はそれを買って飲んでみた。いつか、グレープマンともう少し親しくなることがあれば、聞いてみようと思う。
- 終わってまた始まる