- 父の書斎
針音たっぷりのクラシック音楽が鳴っている
音楽は例えば“バーンスタイン指揮モーツァルト交響曲第40番”
- 娘
- お父さん、さっきの話だけど
- 父
- もう寝なさい
- 娘
- ちょっとだけ話聞いて
- 父
- あいつはダメだ
- 娘
- お父さん…
- 父
- おやすみ
- 娘
- ちょっと会っただけで判断しないで
- 父、レコードを止める
- 父
- ちょっと会っただけで分かるんだよ、人は
- 娘
- あんな短時間で分かるわけないでしょ
- 父
- 分かる。人間はな、レコードと同じなんだよ。名演か駄演かはジャケットを見ればすぐ分かる。それにな、重量盤って知ってるか
- 娘
- 重量盤?
- 父
- レコードにはな、重さがあるんだよ。上等なレコードは重いんだ。回転する時に安定するからね。あいつには重さも溝の深さもまだ足りない。まるでソノシートだよ
- 娘
- ソノシートって何?
- 父
- え、薄いビニール素材のレコード。おまえも小さい頃、聴いてたじゃないか。“魔女っ子メグちゃん”毎日のように歌って踊ってたから、お父さんも覚えてしまってさあ…♪子供だなんて~思ったら~(←メロディーが合っていない)
- 娘
- 全然違うんだけど
- 父
- いやあ、楽しかったなあ
- 娘
- ねえ、今聴いてたレコードは、何?
- 父
- あ、気になる? “バーンスタインのモーツァルト40番”
- 娘
- それはいつ頃から聴いてるの?
- 父
- 3年前くらいかな
- 娘
- あまりいい演奏じゃなかったね
- 父
- そんな、今聴いたぐらいで…
- 娘
- でしょ? 私も3年くらい付き合って、相手のことはよく分かってるの。さっき会っただけのお父さんに彼の良さが分かるわけないと思う
- 父
- …真紀は、LPって知ってるか
- 娘
- LP?
- 父
- コレ
- 娘
- ああ…
- 父、別のレコードを取り出しながら―
半透明の薄い袋からレコードを取り出す音がする
- 父
- レコードにはな、色んな大きさがあるんだよ
- 娘
- ちょっと、話逸らさないでよ
- 父
- いいから、聞きなさい。このLPってのはな、33回転盤とも言うんだ。コレを聴く時はプレーヤーの回転数を33回転に合わせる。ところが、この33回転にしたままで、ソノシートを聴くとどうなるか。分かるか?
- 娘
- さあ…
- 父
- ソノシートってのは、45回転なんだよ。だから、33回転で聴くと…♪子供だなんて~思ったら~(←スローな歌い方で)ってなる。分かるよな?
- 娘
- うん
- 父
- どうだ。そんな“魔女っ子メグちゃん”は。え? 気持ち悪いだろ
- 娘
- うん、気持ち悪い。メロディーが違うから
- 父
- お父さんはな、LPの真紀と、ソノシートのあいつが、うまくやって行けるとは思えない
- 娘
- でも、結婚って、そういうもんじゃないの? 回転数の違う二人が、うまくやっていかないとダメってことくらい分かってるよ?
- 父
- あいつはやめときなさい
- 娘
- 何で?
- 父
- 真紀には合わない
- 娘
- 私が合うと思ってんだからいいじゃない
- 父
- …まあ、音楽でも聴こうか
- 娘
- ねえ、話逸らさないでよ!
- 父
- もう話すことはない
- 娘
- …私はあの人と結婚します
- 父
- ダメだ
- 父、レコードに針を下ろす
たっぷりな針音が走る
- 娘
- お父さんがこんな話の分からない人だとは思わなかったよ
- 父
- レコードはね、この針音がいいんだよ
- 娘
- レコードレコードって。勝手に聴いてればいいじゃない。こっちも勝手にするからね!
- 書斎を出て行く娘
勢いよくドアが閉まる
レコードから、メンデルスゾーンの“結婚行進曲”が流れる
- 終