- 男
- これが最後の石段です。お疲れ様でございました。
- 女
- (長く続いた石段を登りきり)ふう・・・ああ、登った登った。
- 男
- あれが、例のイチョウの樹です。
- 女
- おー、なかなか立派なイチョウさんだ。
- 男
- ええ。なんでも弘法大師様が手植えされたとかで、その樹齢は1200年、
- 女
- それはないな。
- 男
- ない?
- 女
- イチョウは、裸子植物でしょ。
- 男
- らし、植物?
- 女
- 裸の子と書く。理科で習わなかった?
- 男
- 聞いたことあるような・・・。
- 女
- 裸子植物はさ、種(タネ)で増える植物のさきがけ、もしくはハシリってやつ。
- 男
- はぁ・・・。
- 女
- 要するに植物としては原始的で、未発達な部類なわけ。
- 男
- ええと、それがこのイチョウの樹齢と何か関係するんでしょうか?
- 女
- おわかりにならない?
- 男
- すみません。
- 女
- いえ、こちらも教養をひけらかしたかっただけだから。
- 男
- え?
- 女
- ヤダ冗談よ。笑って。
- 男
- どこまでが冗談で、どこまでが冗談じゃないのかさっぱり・・・・。
- 女
- 原始的で未発達なイチョウは、新世代の被子植物たちが台頭するにつれ、生存競争に負け、絶滅していった。最終的には、中国に分布するたった一種のみになっちゃったのね。
- 男
- へえ。
- 女
- そして、中国から日本にイチョウが持ち込まれたのが、鎌倉時代あたり。
- 男
- イイクニツクロウ鎌倉幕府。
- 女
- つまり、日本のイチョウの樹齢は、九百年以下ってことになる。
- 男
- え、じゃあ、看板に偽りありになっちゃうじゃないですか。これ相当マズいですよね。
- 女
- まあ、この説が絶対に正しいってことはないから、いいんじゃない。
- 男
- いいんですかねえ・・・。
- 女
- それにしても、この時期に紅葉してないって変ね。
- 男
- せっかく紅葉狩りにお越しになる方もがっかりなさるし。ぜひ樹のお医者さんである先生になんとかしていただきたいと、
- 女
- まるで時を止めたみたい。
- 男
- イチョウがですか?
- 女
- 7月あたりから葉が成長していないんだけど、何かあった?
- 男
- え、そんなまさか。
- 女
- 心当たりある?
- 男
- 大切な人を失いました。・・・できることなら時間を巻き戻したい。そう想い暮らしてきました。
- 女
- あなたの想いに応えるようにこのイチョウは時を止めた、のかも。
- 男
- のかも?
- 女
- ああ、えと、私はまだ見習い中でね。先生が今朝、腰をギックリやっちゃって、代理で来ることになったわけ。サンプル採取して、ちゃんとした診断は先生がするので、さっき私が言ったことは忘れてね。
- 男
- いや、でも、ドキッとしました。
- 女
- イチョウの葉って、驚くほどに一枚一枚形が違うのを御存じ?
- 男
- そうですか?
- 女
- ぼーっと見てるとわからないわよ。じいっと見てごらんなさい。切れ込みや大きさや扇のカーブ、どれ一つとして同じ形がない。
- 男
- ここからじゃ、あんまりよくわからないですね。
- 女
- 人も同じ。
- 男
- え。
- 女
- 同じようだけれど、違うのよね。
- 男
- ええ。
- 女
- だから、はっぱ一枚一枚、樹、一本一本、人一人一人。日一日一日、愛おしいなあって思っちゃうのよ。私はね。
- 男
- ・・・この樹にまた時が流れはじめて、落葉したら、手にとってよーく見てみます。
一枚一枚。
- 女
- ええ。
- 二人、まだ青々としたその樹を見上げる。
- 終わってまた始まる