「父はクマのような野生児だった。自然の懐へ溶けるように入っていける人だった。父とならば楽々と森の奥深くへと分け入ることができた。重い荷物も平然と担ぎ、ゆるぎない歩きぶりは疲れを知らなかった。父は、どんなことが起ころうとも生きて帰ってくる、いわば“選ばれし者”だと思っていた。しかし、あっさりと逝ってしまった。下山中、道に座りこみ、そのまま帰らぬ人となった。山の神様が、父をそばに置いときたかったのかもしれないね。と母は寂しそうに笑った。 ふと、深い森の濃い酸素を、胸いっぱい吸い込みたくなり、私は父の遺した地図を頼りに山に入った」
突風が吹き過ぎる。
ううう・・・死ぬかと思った。
すげえ突風だったな。
お父さん笑ってたでしょ。
そりゃあお前が亀みたいだったから。
だって吹き飛ばされたらまっさかさまだよ。
あんなガチガチに岩にしがみついてたんじゃ、何かあっても対処できんでしょうが。
そのとーりですね。
ほら、まだ気を抜くなよ。
はい。
もうちょっと身の丈に合った山に登らないと。
昔、父さんと一緒に登った時は楽勝だったから、平気かと思ったのよ。
・・・。
居なくなって知る、父の偉大さってやつよ。
お前、山、好きか?
好き、けど、怖い。
怖い。
何が起こるかわからないし。
人間のほうが、何考えてんだかわかんなくて怖いけどな。
父さんはそうでしょうとも。
母さんの不機嫌にくらべりゃ、どんな嵐もそよ風さ。
言いつけちゃおっと。
ああ、頼む。
え。
萎れかけてるから、ちょっと刺激してやらないと。
母さんのこと?
頼むな、いろいろと。
ねえ・・・本望だったんだよね。
再び突風が吹く。
「父の遺した地図をトレースしていると、父をそばに感じることができた。父の軌跡をなぞらえなぞらえ歩き行けば、いつか父の場所へ、いやその先へ届くことができるのだろうか・・・。」
もう少しで樹林帯に入る、それまで気を抜くなよ。
はい。
終わってまた始まる。