- ひぐらしが鳴いた。
田舎の、古い、引き戸を、開けた。
ガラガラガラ
- 俺
- ただいま…
- 広い家なのだろう。何度かくりかえすただいま。
仏壇の部屋から、チーンと音がした。
- 俺
- ああ、いるんだ。ただいま。あ、俺、自分の部屋にいるから。
- トントン、トントン
と、階段をあがってフスマを開けた。
- 俺
- …ぁあ、蒸しあつー…
- ピ、とクーラーのリモコンの音。
- 母
- クーラーより、窓開けないさいよ、窓。
- 俺
- 窓開けたって涼しくならないだろ。
- 母
- 夕暮れは風があるんだから。
- 俺
- 母さん…
- 母
- なぁに?
- 俺
- 何その格好。
- 母
- セーラー服よ。
- 俺
- 見りゃわかるけど。なんで?
- 母
- 初盆だからじゃない。
- 俺
- 初盆はセーラー服着る決まりでもあるの?
- 母
- だって、自分の一番好きなときに戻っていいんだもの。
- 俺
- へぇ、便利だね。あの世って。
- 母
- 久しぶりねぇ。
- 俺
- 49日以来かな。
- 母
- お線香くらいちょうだいよ。
- 俺
- あとでね。父さんが仏壇の前、居座ってるから。
- 母
- ずっとあの調子なのよ。イヤんなっちゃう。ね。
- 俺
- ね。って、
- 母
- 趣味とかあればよかったのに。気晴らしどっかいくとか、何かするとか、ねぇ。
- 俺
- 野菜の栽培ハマってたじゃない。
- 母
- あれは母さんがハマってたから。
- 俺
- 神社めぐりとか、
- 母
- あれも母さんがハマってたの。ぜーんぶ、母さん発信。受信専用なの父さんは。
- 俺
- 仲よかったもんね。
- 母
- …イヤんなっちゃう。あんな背中。
- 俺
- うん。
- 母
- 朝から晩まで仏壇むかっちゃって。
- 俺
- うん。
- 母
- つねりたくなっちゃう。
- 俺
- うん。
- 母
- 出来ないんだけどね。
- 俺
- 最愛の妻がいなくなって一年足らずなんだから、仕方ないよ。
すぐに恋人作られるよりいいと思うけど。
- 母
- そっちのが安心よ。
- 俺
- そうなの?
- 母
- だって、母さんもういないのよ。
- 俺
- …うん。
- 母
- ね、あたしのかわりにつねってきてよ。
- 俺
- え?
- 母
- 母さんからの伝言だって、父さんつねってきて。ね、はやく。
- 俺
- えー、伝わるかなぁ。
- トントントン、階段を下りる足音。
仏壇の部屋へ向かう俺。
母は、俺の部屋の窓をガラガラと開けた。
ひぐらしが鳴く。
- 母
- ほら、夕方は風があるんだから。
- 夕暮れ、ひぐらし、風吹いて、
少しだけ涼しい、夏の夜がやってくる。
- おしまい