- 昼の公園。
桜の木が眺められるベンチに男が居り、人待ち顔である。
- 男
- 佐々木さーん、こっちこっち。
- 女
- はあい。よくまあ、そんな特等席がとれましたね。
- 男
- たまたまね、入れ替わりで空いたもんで。
- 女
- 今年もきれいに咲きましたねぇ。
- 男
- ・・・ほんとうに。
- 女
- 小山さん。これ、退職祝いなんですけど。
- 男
- そんな、気を使っていただいて、
- 女
- ささやかなものですんで、もらってやってください。
- 男
- なんだろな。
- 女
- 男の方へプレゼントなんて、久々すぎて何を選んでいいかよくわからなくて、
- 男
- ・・・料理の本ですか、いや嬉しいな。
- 女
- 小山さんもこれからは奥様になにか作ってさしあげたら、なーんて。
- 男
- ははは。
- 女
- 少々おせっかいでしたかね。
- 男
- いえ、ありがとうございます。
- 女
- 私もあと半年で定年です。
- 男
- そうですか。じゃあ僕からもなにかプレゼントしますよ。
- 女
- 忘れてください。
- 男
- え。
- 女
- もう会社のことなんてすっかり忘れるくらい、第二の人生を満喫していてほしいなって。
- 男
- どうなんでしょう。何者でもないという自分が想像できません、まだ。
- 女
- あの、じゃあ、最後に一つだけお願いが。
- 男
- なんでしょう。
- 女
- 厚かましいんですけど、小山さんのお弁当にいつも入ってる玉子焼き、一ついただけませんか。
- 男
- この玉子焼きを?
- 女
- 美味しそうだなってずっと思ってたんです。私、すごく下手で。
- 男
- 少し強めの火加減で焼いてますか?
- 女
- 弱火じゃだめですか。
- 男
- はい。それとね、ほんの少しだけお酢を入れるといいんです。
- 女
- お酢?
- 男
- 卵が固まりにくくなって、しっとり仕上がります。
- 女
- なんだか小山さんが作ってるみたいな口ぶり。
- 男
- ・・・作ってます。
- 女
- え、玉子焼きはご自分で?
- 男
- 実はですね、今日こそは言うつもりでいたんですが、
- 女
- はい。
- 男
- 毎日弁当を作ってたのは僕なんです。
- 女
- でも奥様がって、
- 男
- 嘘をつくつもりはなかったんです。こっちに転勤になって、佐々木さんと最初に休憩室で会ったときね、褒めてくださったでしょう。彩りがきれいだって、恥ずかしくて、つい女房が作ってると言ってしまって。
- 女
- ひょっとして奥様、
- 男
- 十八年前に・・・。
- 女
- 辛い思いをさせてしまったんじゃないですか?
- 男
- いえ。言ってるうちに、あいつが作ってくれたような気がしてきてね。それはそれで楽しかったです。
- 女
- ほんと鈍感ねえ私ったら・・・。
- 男
- 佐々木さん、
- 女
- はい。
- 男
- 玉子焼きどうぞ。
- 女
- あ、いただきます。
- 男
- 佐々木さん、
- 女
- はい。
- 男
- あなたを忘れるなんてできないです。だから、つまりその・・・お友達からはじめてくれませんか?
- 女
- 美味しいです。
- 男
- え。
- 女
- じゃなかった、嬉しいです。
- 春の風が吹き抜ける。
- 終わってまた始まる