引越しの光景。
引越し屋さんがドタドタと家の中を歩き回っている。
娘はまだ残っている梱包をしている。
お母さん、邪魔!(引越し屋さんに)あ、そっちにおいてるのは運びません。そこに かためてあるのだけ、積んでくだされば。はい、冷蔵庫とかは捨ててしまいますんで、はい、その棚も、テレビも、こちらで処分しますんで。はい、そのタンスも、
(ナレーション) 「そのタンスも、」そう言って、シマッタ、そのタンスは母には捨てないと約束していたタンスだからだ。だけどホームには持っていけないし、ウチで引き取るわけにもいかない。私はそっと母を見た。
母はタンスを見つめている。
(N) 母はタンスを見つめている。赤茶色のボロボロのタンス。それは母が嫁入りの時、一緒にこの家にきたタンスだ。まるで話かけるように、タンスを見る母。しかたないじゃん。だってしかたないよ。気持はわかるけど。
お母さん、危ないからそこいないでよ。車にもどっておいて、
引越しはどんどん進んでゆく。
(N) 母は去年の年末。突然倒れた。軽い脳梗塞だった。突然と言ったけど、私はおどろかなかった。きっと母本人もおどろかなかったんじゃないかな。驚いたのは遠くに暮らす弟たち、真っ青な顔で病院にきた。病室でワンワン泣いた。死んだわけでもないのに。父が死んでもう10年、母はずっと一人で暮らしてきた。ホームに問い合わせると一年は順番待ちらしい。しかたがない。私は夫と相談し、それまで母を引き取ることにした。
お母さん、お願い、車にもどって、
(N) 耳が遠くなったのかしら。さっそく母は言うことを聞いてくれない。
お母さん!
(N) その時、私は聞いたのだ。タンスが母に話しかけるのを。
タンス
シャルウィダンス?
大貫妙子「SHALL WE DANCE?」がかかる。
(N) そして私は見たのだ。いや、少しぼーとして、幻を見たのかもしれない。違う本当に見た。私は本当に見たのだ。母は薄い青のドレスを着て、胸元なんかものすごく開いていて。そこに大粒のルビーが光ってる。タンスはピカピカ、黒い燕尾服をばっちり着こなして。母の細い腕が、タンスの肩にそえられ、踊る。踊る。踊る。
しばらくタンスと母は踊る。
やがて音楽がやみ。
タンス
さようなら。
(N) 母はコクリとうなずいた。やがて二人の手が離れる。マジックが終わったかのように。タンスはタンス。母は母。
引越しの雑音が戻ってくる。
(N) そして、母は歩き出した。タンスに背中をむけて。
おわり