- 秋の夜道。住宅街。女が一人歩いている。
- 女
- あるく。あるく。あるく。角を曲がれば金木犀の香り。気持ちいい。
明日から二人。今日が最後の一人のよる。
最後の夜の最後の帰り道。
嬉しい。
あんなに好きだったあいつの顔も、あいつの顔も、あいつもあいつも、みんな思い出せない。ぼんやりした輪郭と、よく着ていた服、髪型。それくらいしか思い出せなくて、顔はぼんやりのっぺらぼう。
みんな、ありがとう!ほんとにほんとにありがとう!
- 遠くから若い男の影。
こつこつと靴音が響く。
- 女
- なんだろうあの人。こんな時間に。って私もそうだけど。男の人だ。怖い。曲がろう。
- 女は角を曲がる。
- 女
- 私もついに人妻か、人妻‥‥大丈夫。あの母だって人妻なんだもん。私だって、人妻よ。あ、また、あの人、
- またもこつこつと靴音。若い男がやってくる。
- 女
- 痴漢?でもちゃんとスーツ着てるし。私を追ってるのかも。もう帰ろう。
- 女はUターンして帰りをいそぐ。
- 女
- もうやめなきゃな、夜の散歩も。危ないわ。やっぱ。でも、顔は見えなかったけど、もしかして好みかも。‥いい感じの細いスーツ。あれって本当に似合う人、案外少ないのよね。何か探してたのかな‥って、いかんいかん。明日から人妻だ。
さてと、今日はもう寝なきゃ。
- 女は自宅マンションの前までくる。
こつこつと若い男の靴音。
- 女
- あれ?また、あの人‥。
- 女
- 私の30メートルほど向かいに、またあの男の人がいました。私は目を伏せてはやあしで歩きだしました。その人との距離がどんどん近付く。もし呼び止められたらどうしよう。肩でもつかまれたらすぐに大声出さなきゃ。そう思いながら、歩いていると、暗い地面に、何か黒いもの、あ、サイフだ。
- 男
- あ、ありがとうございます。
- 女
- え?
- 男
- そのサイフ、ぼくのです。どうも。
- 女
- あ、そうですか、
- 男
- ぜひお礼させてください。
- 女
- いえ、そんなとんでもない。
- 男
- いえいえ、ほんと助かりましたから、
- 女
- いえ、ほんと困りますから、
- 男
- ‥そうですか、
- 場面かわって女の部屋。
- 女
- 部屋についてからも、あの笑顔が忘れられない。やばい。すっげーかっこよかった。メチャメチャ好みのタイプかも。お礼うければよかったな。メールアドレス交換すればよかった。‥いかん、なに考えてるの私。人妻、人妻、わたし人妻だってば!‥‥優しそうだったなー。って駄目だって。人妻なんだから。
旦那のこと考えよう。旦那のこと。
‥‥
あれ?思い出せない。旦那の顔。
ベットの上で私は旦那にメールした。
「サ・ビ・シ・イ・ヨ・ウ」
- おわり