- トラ
- トランクひとつだけ持って旅をする。それだけが私の人生、毎日がバケーションです。
- ボーっと汽笛が鳴る
- 私
- はぁ…
- トラ
- 気ままなもんです。いいもんです。
- 私
- はぁ。
- トラ
- 家族を持たずに、家も故郷も持たずに、ただ好きに生きている。行きたい場所へふらりと出かけ、あの、有名な寅さんじゃありませんが。あんな人情あふれる街には育っていませんが。妹もいませんが。ま似たようなもんです。トランクひとつで旅をする。
素晴らしく自由です。
- ボーとまた汽笛が鳴る、船は静かに海面をすべる
- トラ
- 船の旅も、いいもんです。
- 私
- はぁ。
- トラ
- ね。
- 私
- 分かりましたから、あの、もういいですか?
- トラ
- うん?
- 私
- 私の荷物、その、私のトランク返してもらえます?
- トラ
- ああ。ええ。ええ。もちろん。いやこれも何かの縁ですかね。そっくり同じトランクを持った人がいるなんて、同じ船の中で。それ取り替えっこになって出会った二人ってのも、旅の運命ってやつですか?
- 私
- はぁ。
- トラ
- どうぞ。こっちがあなたのトランクですね。
- 私
- で、私が持ってるこっちが、
- トラ
- アタクシの。
- 私
- とんだトラブルでしたね。それじゃ。
- トラ
- いやぁ、旅は道連れ。驚いたでしょう?
- 私
- え?
- トラ
- アタクシのトランクの中身を見て。
- 私
- すいません。てっきり自分のだと思って、
- トラ
- いいんです。いいんです。自分のものだと思って開けたらそりゃあびっくりされたでしょう?こんなものが入っていて。
- カチリ、とトランクを開けたトラ
中には、ぎっしりと便箋
- 私
- え、ええ…便箋がぎっしり。ていうか、便箋しかないんで。ええ、はい。
- トラ
- 素晴らしく自由、なんですがね。ふとね、思うんです。
- 私
- はぁ。
- トラ
- 家族を持てばそれはどんな人生であったかと想像するんです。普通に仕事をして、普通に家に帰る自分を想像します。そんな想像がアタマをよぎるんです。
- 私
- はぁ。それが?
- トラ
- すぐに便箋に書きとめるようにしてるんです。
- 私
- だから、こんなに?
- トラ
- そんな便箋の束が今ではトランクいっぱいになりました。しかし、これは出すアテのない手紙。誰にも出せない手紙。想像だけがトランクにつまっていくだけです。今の自分が不満ではないけれど、もし、もし自分の命が尽きるときに「ああ、なんて人生だったんだ」と嘆くようならば、このトランクの中の便箋に書かれたもう一つの人生を読み返しながら死んでいこうと思ったんです。
- 私
- あの、
- トラ
- この便箋の中が本当の自分の人生だったのだと言い聞かせながら。スペアのようなものですね。人生の、ええ、スペア。
- 私
- あの、私の荷物、私のトランクの中身見ました?
- トラ
- どちらまで?
- 私
- え?
- トラ
- あなた、どちらまで行かれるんですか?ご旅行?お仕事?それとも?
- 私
- ええ、まぁ…ちょっと。
- トラ
- カラッポのトランク抱えて?
- 私
- やっぱり見た…!別に…関係ないでしょ。
- トラ
- 全部置いてきちゃったんですか。全部、捨ててきちゃったんですか。
- 私
- だから関係ないでしょ。もう、別に、何もないし、残ってないし、カラッポだし。
- トラ
- 旅の、フリはいけませんね。カラッポも、またいいもんですよ。例えば、ねえ、
- 私
- ?え、あの、
- トラは、トランクの中身を海へとぶちまけた
バサバサバサ、便箋は風に舞って海へ散る
- 私
- ちょっと、ねぇ、ちょっと、何してんですか?あれって、スペア、スペアでしょ?
- トラ
- いい眺めです。ああ、ほら、アタクシのトランクも、カラッポになってしまいました。
- 私
- なんで、こんな、
- トラ
- カラッポだから、また別の新しいものを詰め込みます。
- 私
- え?
- トラ
- いいもんですよカラッポは。ねぇ?あなた、これから何を入れます?
- ボーっと汽笛、私は少し気が抜けたように
- 私
- あんたまで…捨てることないのに…
- トラ
- 旅は道連れですから
- ボーと汽笛、海は静か
- おしまい